喫茶店での一件から1週間が過ぎた土曜の朝、旦那はスーツ姿で私を起こしました。


「それじゃ、行って来るね。」

「うん。気を付けてね。」

「紅茶、淹れて置いたから。起きてからでも飲んでね。」

「ありがとう。仕事終わったら電話してね。」

「うん、分かった。」


この日の旦那は、人手が足りないという理由で休日出勤を言い渡されていたようで、いつも通りの時間に起き、出勤して行きました。


旦那は結婚前から本当に私を大事にしてくれていて、いつでも優しく包んでくれていました。だから私も旦那の事を心から愛していて、4回目の結婚記念日だったこの日、二人は隣町のイタリアンレストランへ行く予定でした。

旦那の仕事が終わってから待ち合わせをして、それまでに私は旦那へのプレゼントを買いに行って、ケーキを作って冷蔵庫に入れて、いつもよりお洒落をして・・・。今日だけは、出逢った頃のように素敵な気持ちで過ごしたいと思っていました。



インターネットで旦那へのプレゼントの下見をしていると、洗面台の方から何か音がしました。旦那の携帯の音でした。


「今日みたいな大事な時に限って忘れるんだから!」


お昼にでも会社に電話をしようと思い、とりあえずは旦那の携帯をテーブルに置き、私は再びパソコンに向いました。



出掛ける前に、お腹が空かないよう何か食べて行こうと思って、私は冷蔵庫にしまってあった残り物をレンジで温めました。そして温めたご飯を器によそっていると、再び旦那の携帯が鳴りました。


「私が出るわけにも行かないし、大事な用なら会社に連絡行くか。」


そう思っていましたが、あまりにもしつこく鳴り続けるので、私は旦那からの連絡かも知れないと思い、携帯の画面を見ました。



着信中 小林研二



見知らぬ男性の名前が表示されていて、着信が切れると同時に画面が切り替わり、これまでに掛かってきた電話やメールの件数が表示されました。


不在着信 7件

新着メール 3件



もしかすると、とても大事な用事があるのかも・・・?

そう思った私は、止めて置けばいいのに、電話をよこしてきていた小林研二という男性の残したであろうメールを開きました。



【1通目】

おはよう。ちょっと寝坊したから今から支度するよ!


【2通目】

今から電車乗る!ごめんね、15分くらい遅れる。


【3通目】

着いたよ!



会社へ行くのに、男性と待ち合わせ・・・?

私の不安は徐々に大きくなり、次の行動へと駆り立てました。

喫茶店で滅茶苦茶にされた書類は、何とかまだ効力を持っていて、業務にこれといった支障はありませんでした。客先で若干恥ずかしい思いはしたけど、それでも何事も無く済ませる事が出来たので安心しました。


家に帰ってから私は、昼間に喫茶店でもらった名刺を見て、連絡するか否か迷いました。もうクリーニング代以上のお金は必要無いし、これ以上責め立てるのも面倒だったので、もう私からは連絡しなくていいや・・・と思い、そのまま忘れる事にしました。



翌日の夕方、携帯が鳴りました。知らない電話番号からの着信でした。


「はい?」

「あの、葉月さんでしょうか?K喫茶店のユウキです。」

「あぁ・・・!」

「突然のお電話で申し訳ございません。昨日は大変申し訳ございませんでした。その後、書類の方はどうなったのか・・・心配でしたのでご連絡差し上げた次第です。」

「もう大丈夫ですよ、書類の方も大事にはならなかったし。」

「そうですか、それは安心しました。でも・・・ご迷惑をお掛けしましたので、お詫びをさせて頂きたいと考えています。」

「もう本当に結構ですよ、何も心配はいらないので。お気遣いありがとうございます。」

「そうですか・・・。では、次回ご来店頂いた時にサービスさせて頂きますので、今後ともどうかよろしくお願いします。」


もう二度と行く事は無いと思っていたので、私は社交辞令のつもりで「そうですね、その時はよろしくお願いします」とだけ答え、電話を切りました。

私の元に駆け寄ってくれた喫茶店の店長・・・ユウキは、他の従業員へ床を掃除するよう指示を出しながら、私の持ち物についた汚れを拭いていました。


「あっ・・・書類が・・・!!」

「えっ?」


テーブルの上に置いてあった大切な書類が、水浸しになっていました。


「大変申し訳ございません!!この書類は大切な物ですか!?」

「・・・困るんですけど。これ、今からお客さんへ届ける書類です。」

「申し訳ございません・・・あぁ、どうすればいいでしょうか・・・?

お洋服のクリーニング代と一緒にお詫びしますので・・・。」

「謝られたって・・・そんなクリーニング代程度じゃないですよ?

この書類ひとつで契約に関わるんですから。どうしてくれるんです?!」

「じゃ、じゃ、じゃ、じゃあ!後でもう一度ご連絡頂けますか!?

今はこちらでご用意できるだけのクリーニング代をお渡ししますので・・・。」


頭を下げるユウキに怒る私・・・。

忘れもしない光景。

これが二人の交わした最初の会話でした。