自分はパイロットを目指している、と前回書いた。
エアラインのパイロットである。
なぜ、なりたいか。
単純に言えば、小さい頃からの憧れである。
飛行機のおもちゃを片手に走り回って何時間も遊んでるような子どもだった。
人生ゲームでパイロットになると収入が多いことを、幼稚園児のときに知った。笑。
収入なんてもちろん2の次なんだけどね。今のご時勢収入はあまり期待できないし。
飛行機の離陸するときのあのかっこよさ、駐機してるときのたたずまいのかっこよさ、、、見ているとワクワクしてくる。
あー操縦してみたい!!と思う。
もちろん、憧れだけでなれる仕事ではない。操縦技術はもちろん、一緒に飛ぶクルーや管制とのコミュニケーション力、同時にコクピットのたくさんの計器をマネジメントする能力、いわゆる「多重タスク処理能力」っていうんですかね、そういった高い処理能力が必要となる。
中学、高校と進級するにつれ、パイロットという職業はエリートがなる職業だと思うようになり、自分とは程遠い職業なのではないかと感じるようになった。
英語が堪能、頭脳明晰でなくてはならない。自分といったら、赤点取るわ、英語しゃべれるわけではないわ、といいとこなし。
そうしてパイロットを目指すという夢は心の隅へとおいてきぼりとなった。
高校卒業し、教員養成の大学へと進学、楽しい楽しい大学生活を送る。
ダンスにはまり毎日LOCKダンス(というダンスがある)に明け暮れた。一年の夏に初めての彼女ができた。
その彼女とは大学四年間ずっと付き合い続け、なんと今も付き合っている。もうすぐ七年が経つ。
で、彼女の話になるんだけど、彼女は大学卒業後オーストラリアへと旅立った。彼女は教員採用試験を受けたが、合格せず講師をしながら採用試験の勉強をし、教員になるという道があった。しかし、彼女も飛行機が大好きでCA(スッチー)になりたいという夢もあった。
自分の進むべき道を迷っている自分がいた。このまま自分が本当に実現したい夢を諦めて、教員になるか。
そこで自分の将来をゆっくり見つめたい、ということで一年間海外オーストラリアへと旅立ったのである。
彼女のことを話してしまっているが、自分はといえば大学で一つ必要な単位を落としてしまい留年!!ということに。
楽しい海外生活を満喫している彼女を横目に、友達がみな卒業した学校へと一人寂しく通う自分。
唯一ダンスサークルという場所があったから、後輩たちと自分の好きなダンスをすることはできた。
卒業後はどうするのか、という問題。自分も進むべき道をどうしようか、と悩んでいた。
パイロットになりたい、という夢。自社養成の試験は結局受けないでしまった。自らその芽をつむいでしまっていた自分が嫌になっていた。航空大学校を受けるという選択肢もあった。チャンスがあったのに、挑戦もせずに自分の力を見限って諦めた。
自分の夢に目を背け、ちょっと興味のあったマスコミ関係の会社を受けるもことごとく落ちる。
「自分なんかいいとこなしだ」なーんて今考えると気持ち悪くなるぐらい、ネガティブになっていた。
大学生にありがちな「病む」というただの甘え。
今考えると、あの頃の自分には、虫唾が走るぜ!
で、結局どうしたかって言うと、半年遅れての卒業後、三ヶ月バイトをみっちりやってお金を貯め海外オーストラリアへ旅立つことに。
彼女の影響があった。
自分の人生について、海外でゆっくり見つめなおし将来のこともじっくり考えようと思い。
オーストラリアのパースという、大陸の南西の端っこにある都市。
すべてが新鮮で、楽しくて一気に生活が輝きだした感じがした。会う人みんなが明るくて元気で、日本でネガティブで暗くなってた自分を一気に吹っ飛ばしてくれた。
都市から離れたginginという地名にあるファームで働き、ドイツ人や韓国人たちと楽しく同じ屋根の下で暮らす。
約二ヶ月だけだったけど、超がつくほど楽しかった。そして、働いたお金も少し貯まってきたのでオーストラリアを旅することに。
トータルで9ヶ月間の滞在だったけど、オーストラリアのほとんどの都市をまわった。
パース→メルボルン→シドニー→ブリスベン→アリススプリングス→ケアンズ→アデレード→ダーウィン
そして最後にまたパースへと戻ってきた。自分でもこんなに旅するとは思わなかった。
ほぼ飛行機での移動だったんだけど、何度も飛行機に乗っているうちにやっぱり自分は飛行機が大好きなんだ、ということを実感。
あるとき、飛行機に乗り込む時PBB(Passenger Bording Bridge)からではなくターミナルから外を出て、とことこと地上を歩き飛行機に乗り込むことがあった。
あれはケアンズでの空港だったと思う。
みんなが歩いていくなか自分は足を止め、間近でみる飛行機に興奮していた。笑。
カメラをかまえ写真をとろうとしたら、コックピットにいるパイロットが窓越しに親指を立てグーサイン!
はぁなんとかっこいいこと。おっちゃん、まぶしかったぜ。
本当は写真をとることは禁止なんだけどね。案内するスッチーにダメよって言われちゃった。
きっかけっていうのは、まぁこうゆう単純なことなんだと思うけど、この時自分は「パイロットになりたい!!」と強く思ったのでした。
また、滞在を通して英語が上達した自分がいた。なんでも努力すれば、できないものもできる!なれないものにだってなれる!問題なのは、自分の意志!!自分の意志次第で道は開ける!!と考えるようになった。
ポジティブに考えられるようになった。
九ヶ月の滞在ののち、2009年9月帰国。
]-airというjalグループの航空会社を受けるもあえなく落ちる。
jalグループの会社にはライセンスもなにも持っていない人向けにC制度という会社がパイロットを養成する採用制度がある。
落ちてしまったけど、働きながら毎年この試験を受けようと思っていた。毎年受けようって考えてる時点で、受かる気あんのか!と今更ながら思うんだが。
しかし、頼みの綱であるJALが破綻。当然ながら採用がストップ。パイロットになる訓練を受けていた社員も訓練がストップ。内定をもらっていた人も内定が取り消し。リストラされた社員も何千人といる。
jalのパイロットになる道は、限りなくゼロに近い。採用が再開するのは何年かかることになるか。
全日空はどうかといえば、jalのC制度にあたる採用はやっていない。過去にエアネクストが採用をしていたようだが、今はない。
パイロットになる道はあるのか。
それは、自分でライセンスを取得し、パイロットになるという方法。jal、ana以外の航空会社、つまりスカイマークやエアドゥなどの航空会社では、ライセンス取得者向けにパイロットになるための門戸を開いている。
ならば、自力でライセンスを取りパイロットになってやろうじゃないか!!と今は考えている。
ただそのライセンスを取るための費用、約一千万以上のお金が必要となる。
働いて稼いだとして、何年かかることか。今の年齢25歳。
25歳からで大丈夫なのか??正直かなり焦っている。
しかし、諦めたくはない。悔いが残ることは絶対したくない。
なんだかんだあって働き始めは24の時。一年と四ヶ月働いてためた金は100万とちょっと。単純計算であと10年かかるじゃあないか、と。
理想は自腹でライセンス取得すること。しかし現実的に無理がある。
そこで、先日親に支援をお願いしたいと申し出た。パイロットのライセンスを自分で取得し、パイロットになりたい。しかしそれには一千万という現実的ではないという金額がかかる。どうしてもなりたい、支援をお願いしたい、ということを伝えた。23日に実家へ帰ったときのこと。
意外にも応援したい、ということを言ってくれた。
親は自分がパイロットになりたいことは知っていた。が、今まで自分は自力でライセンスを取ってでもパイロットになりたいとは言っていたものの、お金の支援をお願いしたいということは言っていなかった。
言いづらい部分があった。正直言う勇気がなかった。しかし、言わないんでは何も始まらない。
おじいちゃんが持っていた山を売れば少し足しになるんじゃないか、と親父は言ってくれた。
母は、応援したいのは山々だ、そんなにパイロットになりたいという気持ちが強いなら。ただお金は厳しいところがある、と言ってくれた。
お金は厳しいのは当然だけど、応援すると言ってくれたことがうれしかった。
正直言って、ライセンスを自分で取るってことに自分自身現実的ではないなと考えてた部分が少しあったけど、これで固まった。グラグラしていた自分の気持ち。
絶対ライセンスを取ってパイロットになる!!!と。
これで、自分を応援してくれる後ろ盾が二人増えた。とても心強く感じる。
実家から東京のくそ暑い夏へ帰ってきた。ぼくは今羽田空港でグランドハンドリングの仕事をしている。いつも間近で見ている飛行機を見てよし頑張るぞ、と気持ちを新たにした。
このモチベーション維持して頑張ろう。
よし、今できること。それをしっかりやっていこう。
英語の勉強、数あるフライトスクールの資料集め、航空無線通信士の資格を取るための勉強、処理能力アップ!!
あんま意気込んでも、途中でダメになるタイプだから適度に息ぬいて頑張ろうや。笑。
ま、君の場合息の抜きすぎが目立ちますが。
今日は休日。これから図書館行ってこよう。それでは、また。