記憶は薄れるもの。

大切なことをどこかに閉まってしまわない内に、日記にすることとします。

その時思ったことをままに書くつもりなので、

不謹慎な発言もあるかと思います。

ご容赦ください。


東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しあげますとともに、
被災された地域の皆さま、そのご家族の方々に、心からお見舞い申しあげます。
一日も早い復旧を心よりお祈り申しあげます。


hana*




2011年3月11日(金)

なんでもない昼下がり。

今日から仕事場の上司たちが海外へ出張の為、1Fオフィスに残った女3人+他部署でまったりと仕事をしていました。


3時前、電話をしていたらカタカタと揺れ出したので、

『地震だ。後でね。』と言って電話を切りました。


オフィスの同僚と『この前北の方で地震があったからそこらへんかな?』

と言っていたら、どんどん揺れが強くなる。


直感的にヤバイと思った。

阪神大震災の時に似てるって・・・!


空気が、建物がビリビリして、みんなも異変を感じ取り騒いでる。


入り口に近い人に叫んだ。


『ドア!開けて!!これ、マズイです!!!外に出た方がいいです!!!』



とりあえず、脇にあったバックを持って外に走り出た。



社屋を見上げると外壁のタイルがいくつかバラバラと落ちてくる。

危ない!と後ろに下がるが、反対側のマンションのタイルも落ちてきた。


女3人くっついて、『怖い、怖い!』としか言えなかった。


頭が上手く働かず、広場に逃げることも考えられなかった。



地面が横に揺れる。



金属のような物のような音がガンガガガンと鳴り響く。

社屋が崩壊しないか気が気でなかった。



何分揺れただろう。

揺れが収まった。


しばらくすると、オフィスの上階の人たちが飛び出してきました。

聞くと立つことも出来ず机の下に隠れたけれど、机自体が揺さぶられしがみつくのがやっとだったらしいです。



あちこちのビルから皆避難してくる。

道路にはたくさんの人が集まっていた。




ノートパソコンを持ち出した人が、ネットで情報を探っている。

宮城で震度7、東京は震度5強・・・。


・・・耳を疑った・・・。


阪神大震災の時、hana*は15歳だった。

関西には住んでいたが、兵庫県とは大阪をはさんだ奈良県だった為、直接現場を見たわけではない。

しかし続く余震に、連日繰り返される報道に怯えた。


倒れる高速道路。

燃えさかる街。

崩れた瓦礫。

身内を探す人々の声。

頭上で飛び交う自衛隊のヘリ。



再び余震が襲ってきた。

誰かのかけ声で、駐車場に集まった。


社屋が左右に揺れる。

バリバリと音が鳴る。

目の前の車が今にも動き出しそうなくらい揺れている。


誰も何も言わなかった。

顔と顔を見合わせた。

ただ立ち尽くすことしか出来ませんでした。



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