どうも!りたです。
前回のブログ
思考その8〜大学生活振り返り編① 授業で出会った概念が一生のテーマに〜
に引き続き、大学生活を振り返ってみたいと思います。
前回は、「大学で学んだこと」を中心に書いてみましたが、
今回は、学生時代に活動したことと、その中で感じたこと
について書いてみたいと思います。
【りた、ファシリテーションを学ぶ】
政治国際関係専攻に移ってきてから半年。
3年生になった時。
同じゼミの友達に誘われて、
ファシリテーションを学んでみることにしました。
ファシリテーションとは、
人々の活動が容易にできるよう支援し、うまくことが運ぶよう舵取りすること。集団による問題解決、アイデア創造、教育、学習等、あらゆる知識創造活動を支援し促進していく働きを意味します。その役割を担う人がファシリテーター(facilitator)であり、会議で言えば進行役にあたります。
おぉ、面白そう。
こんな感じで、週1の講座を半年間。
最後は学んだスキルをフル活用して、
イベントの企画実施を経て卒業。
このファシリテーション講座で学んだことは、
今の自分自身を作っている要素の1つです。
特に「物事を構造的に捉える視点・スキル」は、
学問を学ぶ者としても非常に重要なスキルだったなぁと。
もちろん今でも、講座で学んだことを日々応用しています。
【りた、スピーカー活動を始める】
ファシリテーション講座を受けて半年くらい経った頃。
同じゼミの先輩が運営していたNuge(ぬーじ)というコミュニティで
学校の先生向けに、LGBT研修するから
当事者スピーカーとして話してほしい
と連絡が。
今まで同級生や後輩に1対1でカミングアウトしたことはあったけど、
大勢の前で、しかも大人。
ちょっと緊張するけど、もちろんやります!!と返事しました。
最初のうちこそ、エピソードとして自分の話をすることが
すごく大変だったけど、慣れてしまえばトークショー感覚。
その後は高校生や教職員対象の講演会や研修などを、
何回かさせてもらいました。
講演会や研修を行う中で、ただ自分が喋るだけじゃ楽しくないので、
参加者とコミュニケーションをとりながら話すスタイルでやってみたり。
参加者にどういう状態になってほしいから、こういう話をする、
どいうように、
ファシリテーション講座で学んだことをアウトプット実践する場として
講演や研修の場を使っていました。
【感じ始めた違和感】
講演や研修を担当するのはすごく楽しいし、何より実践の場になる。
学んできた知識やスキルを社会に還元できている気がするし。
でも、少しずつ違和感も感じるようになった。
違和感は大きく分けて2つ。
①依頼段階での違和感
生徒対象でも、先生対象でも、必ず言われるのが、
「どんな経験をしてきたのかを話してほしい」
ということ。
最初のうちこそ、何の疑問も持たずに話していたけど、
ふと、「自分の話を聞いて、何がどう変化するんだろう?」
と思うようになった。
というのも、自分が講演会や研修の参加者だった場合、
ただ話を聞いたくらいでは、ほとんど何も変わらないから。
「へぇ、そうなんだ」くらいの気づきしかない。
制度をどう作っていけばいいかであれば、
制度設計というアウトプットがあるからいいけど。
意識・行動の変革が目的の講演や研修なんだったら、
話を聞いたくらいじゃ変化はしないし、
そもそも、自分の話は1つの事例でしかない。
心に響いたとて、どう行動したらいいかの指針にされては困る。
しかも、周りの人や環境に恵まれていたがゆえに、
依頼主が期待するほどの山あり谷ありのエピソードは、
持ち合わせていない。
それでも当事者性を求められることに違和感を感じていました。
②講演研修後の違和感
まぁでも個人のエピソードは興味を引くための素材として使えるので、
参加者の反応を見ながら織り交ぜてますが。
もう1つの違和感は、終わったあと。
LGBTに限らずほとんどの講演会や研修はそうだと思いますが、
基本的に「良かったです!」という評価をいただきます。
個人的には、
どこが分かりづらかったかとか、ここがちょっと違和感だった
という言葉もほしいんですが、それはさておき。
1番の違和感は、
「こんなに若いのに頑張っていてすごいですね!」
という言葉。
もうこれは違和感というか、悔しい。
若い"のに"って何なんだろう?
と、いつもモヤモヤしています。
大学生で活動している人は少ないかもしれないけれど。
でもそれは大学生という肩書きのおかげですごい、
ではなくて、内容で勝負したい。というのが本音。
この言葉を聞くたびに、
「あぁ、自分の作った内容は、
大学生という肩書きに負ける程度のものなのか。。。」
と、痛感します。
【大学生という武器を捨てる】
「大学生」であり、「当事者」であることは、かなり強力な武器でした。
大学生(若者)だったからこそ、新聞に取り上げてもらえただろうし、
"いわゆる"当事者だったからこそ、講演や研修の依頼が入ってきたのかもしれない。
もちろんそれが悪いわけではない。
ただ、自分は嫌だ。
自分自身が「何者なのか」はまだ見つけきれていないし、
これから数年かけて見つけていくつもりだけど、
少なくとも「当事者」で「大学生(若者)」の平良亮太ではいたくない。
もっと自分自身の持っているスキルや、作ったものを評価してもらいたい。
残り5日くらいで大学生という肩書きとはおさらばする。
そしたら武器の1つは自動的に消える。
そしたら嫌でも自分の力で武器を作り上げていくしかない。
きっとそれはファシリテーション講座で学んだことだったり、
大学生活後半を全て捧げた「がちゆん」での経験だったり、
大学で学んだことだったり、
出会ってきたたくさんの人との繋がりだったり。
ちょっとドキドキするけど、自分の力だけで作り上げていく
これからがとても楽しみ。笑
長くなったので、今回はこの辺で。
では。

