JR新潟駅に降り立った瞬間、遠くに海の気配を含んだ風が頬を撫でた。湿り気がありながらも清冽で、どこか港町の空気を思わせる。

 ここには古くから北前船が行き交い、人や文化が流れ込んできた。そんな歴史の名残が、駅前の雑踏をすり抜けて胸の奥へしずかに入り込んでくるようだった。

 

 万代橋のたもとに立つホテルまで歩く途中、川面に沈む夕日が信濃川をオレンジ色に染めていた。万代橋は大正、昭和と架け替えられながら現在の姿に落ち着き、国の重要文化財にも指定されている。

 

 新潟大火や度重なる水害を乗り越え、この街の要として立ち続けてきた象徴だ。橋のアーチが暮れゆく空にくっきりと浮かび、その歴史の重みが静かに迫ってくる。

 ホテルのコーヒーラウンジから見ると、橋の美しさが際立つ。旅の始まりにふさわしい静謐な景色をつくっていた。

 

 少し休んだのち、私は古町方面へと歩き出した。この地域は、江戸時代からの城下町であり、北前船が運んだ富と文化が集積する繁華街として栄えてきた。

 

 明治以降には料亭や芸妓文化が花開き、“東の新橋、西の島原、北の古町”と称されるほど華やかだったという。いまもなお、通りを歩くと格子戸の残る町家や古い石畳がところどころに姿を見せ、遠い時代をそっと忍ばせてくれる。

 

 夕食を求めて訪れたのは、路地裏にひっそりと灯りをともす居酒屋「案山子(かかし)」。中に入ると、出汁の香りが鼻先をくすぐり、旅の緊張がほぐれていく。

 まずは新潟の地酒「雪椿」を一合。続いて運ばれてきたのは、新潟を代表する郷土料理の「のっぺ」だ。とろりとした里芋やにんじんがなつかしく、口に運べば雪国の家庭料理らしい静かな温もりが広がる。

 

 紫色の花びらが美しい食用菊の酢の物「かきのもと(下)」や、「そばサラダ」なども続き、土地の豊かさをしみじみと感じた。

 4人のテーブル席はどこも賑わっていたが、L字型のカウンター席は自分のほかに客は無かった。実際、店を出て古町の中心部へ歩くと、アーケード街の明かりは半分ほどが落ち、通りを歩く人影はまばら。

 

 居酒屋やバーは点々と営業しているが、どの店からも賑わいがあまり感じられない。すれ違うのは中高年ばかりで、若い姿は驚くほど見当たらなかった。

 

 かつて新潟の文化と商業の中心だった古町が、いまは静かな時を迎えている。若者が減り、店が閉じ、夜の明かりがひとつまたひとつと消えてゆく。

 

 少子化や都市構造の変化はどの地方都市にも起きていることだが、この街の静けさはそれをはっきりと突きつけてくる。歴史の厚みを持つ街ほど、過去の栄光と現在の姿との差が胸に迫るのかもしれない。

 

 翌朝、早く目が覚めた私は再び万代橋を渡り、昨日と同じ古町の通りを歩いた。朝の光に照らされた町並みは、夜とは異なる明るさを取り戻しており、瓦屋根の古い家屋が柔らかく浮かび上がって見えた。

 

 その一角に、ひときわ重厚な佇まいの建物──鍋茶屋(下)が現れる。創業三百年以上と伝わる老舗の料亭で、江戸から昭和へ、そして令和へと時代が移り変わるなかでも、芸妓文化とお座敷の伝統を守り続けてきた名店である。

 その静かな威厳の前に立つと、古町という街がいかに歴史の層を抱えながら今日まで続いてきたのかが胸に迫る。たとえ夜の賑わいが薄れても、こうした建物や文化は確かに息づき、街を支えている。

 

 時間とは、失われるだけでなく、形を変えながら受け継がれていくものなのだと気づかされる。

 

 古い商家が残る通りを歩くと、かつて北前船で栄えた港町の余韻が漂っていた。日本海の荒波を越えてやって来た船が、米や酒だけでなく、文化も人も運び込み、街を豊かにしてきた。その痕跡が今も町並みに薄く残っている。

 

 しかし、それを未来へとつなぐためには、新しい世代の存在が欠かせない。新潟駅の東、沼垂(ぬったり)地区はレトロな建物が個性豊かな店がひしめく人気の商店街へと変貌している。そのような姿が町全体に広まってくれることを切に願う。

 また、グルメでも新しい出会いが期待できる。山海の食材に事欠かない新潟では、新たなソウルフードが誕生している。「イタリアン」はミートソースの掛かった焼きそばだ。

「タレかつ丼」はカツ丼に甘じょっぱい醬油だれを絡めたものだ。

 万代橋を渡り駅へと向かう。過去には多くの人と物がここを行き交い、街の未来を形作ってきた。その川をいま、自分もまた旅人として跨いでいることが、不思議な縁のようにも感じられた。

 

 短い一泊の旅だったが、万代橋の風景、古町の静かな夜、そしてそこに息づく長い歴史が心に深く残った。歴史を抱えた街だからこそ、新しい息吹が戻る余地は必ずあると信じたい。

 

 変わりゆくものと変わらないもの、そのどちらにも静かに寄り添うような新潟の空気。それが旅の終わりに、いつまでも余韻となって残り続けるのだった。(了)