東京駅から横須賀線で1時間、JR逗子駅からバスに乗り、葉山へ向かう。トンネルを抜け、海の気配が濃くなるにつれて、街の速度が一段落ちるのがわかる。

 

 葉山はもともと、東京から最も近い「日常の外」として選ばれた土地だった。政財界人や文化人が別荘を構え、夏だけでなく四季を通じて静養の場とした場所。その名残は、今も道の曲がり方や、塀越しにのぞく松の影に息づいている。

 

 最初に立ち寄るのは鐙摺(あぶずり)という難読のバス停から登山道を上ること5分の旗立山だ。ここからは逗子、鎌倉、江の島が見渡せるのだ。

 

 ここを再び降り下ると日本料理の日影茶屋。かつては「陰」の字を使っていたが、今は「影」という字が似合う、明るくひらかれた佇まいになった。海岸には洋菓子のラ・マーレ・ド・チャヤもレトロな雰囲気で客を迎える。

 重厚な造りは昔のままだが、街と切り離される門などはなく、別荘地として育まれた葉山の空気の中に、自然に溶け込んでいる。

 

 日影茶屋は、葉山を代表する名店だ。食事や甘味を味わうというより、この土地の時間を味わうと言ったほうが近い。別荘主やその客人たちも、きっとここで、何もしない贅沢を知ったのだろう。

 

 この店は1916年(大正5年)、明治・大正の思想家 大杉栄と伊藤野枝の不倫の交際に嫉妬した恋人の神近市子が、切りつけて負傷させた日影茶屋事件になったことでも知られている。

(思想家 大杉栄)

 このあたりは日本のヨット発祥の地とされ、大学の合宿所が目白押しだ。日影茶屋を後にして、元町の繁華街へ向かう。別荘地・葉山といっても、生活の場が必要だ。その中心が元町で、土産物と日用品、観光と暮らしが無理なく並ぶ。

 その一角に旭屋牛肉店があり、揚げたてのコロッケをいただけるのだ。頬張ると、じゃがいもの甘さと油の香りが、潮風と混じり合う。華やかな別荘文化を、こうした日常の味が支えてきたのだと実感する。

 

 元町を抜け、少し奥へ入ると、葉山が別荘地だった頃の面影が濃くなる。高い塀、曲がりくねった坂道、直接海を目指さない不思議な道筋。見せるためではなく、守るために作られた風景だ。ここでは海さえも、ふとした隙間に現れる。

 やがて森戸神社に至る。鳥居の向こうにひらける相模湾、沖に浮かぶ江の島、その先に淡く重なる空と雲。別荘地として葉山が選ばれた理由が、一目でわかる景色だ。祈りと眺望が自然に重なり合い、誰もが立ち止まって言葉を失う。

 森戸神社入口のマンションの二階に、かつて中国料理の海狼(かいろう)があった。海岸沿いの日本家屋ではない。生活の延長線上にある、ごく普通の建物の中だった。

 

 2019年に閉店し、その店はもうない。しかし、別荘地の記憶とともに、静かに土地へ沈殿している。日影茶屋と海狼は、別荘地葉山を支えた存在だった。

 

 更に進むと真名瀬のバス停に立つ。この場所は映画のロケ地として知られているが、何より大切なのは読み方だ。ここは「しんなせ」、これが正しい読み方なのだ。「まなせ」と読みたくなるが、これこそ、よそ者である。

 

 別荘地だった葉山では、土地の名をどう呼ぶかが、そのまま距離感を示す。波の音と風の匂いに包まれながら、バスを待つ時間さえ、どこか別荘の午後のようにゆったりとしている。

 

 夕暮れ、逗子へ戻る。旅の終わりは洋菓子の珠屋のバタークリームたっぷりのケーキだ。創業以来の人気のピーチロールを注文した。軽やかさとは無縁の、重く、甘く、どこか祝祭的な味。

 一口ごとに、昭和の別荘文化や、白い箱を抱えて帰る道の記憶がよみがえる。葉山で過ごした時間を、確かに現実へ戻す甘さである。

 

 葉山は、かつて別荘地だった。その事実は、今も風景の底に流れている。名店、閉じた店、日常の味、正しく呼ばれる地名、そして変わらぬ海。

 

 それらが重なり合い、この土地にしかない静かな時間をつくっている。帰路につきながら胸に残るのは、景色ではなく、時間に招かれたという感触だった。(了)