第3回目は恋愛についてです。


閲覧していただいた方、いいねを押してくれた方がいらっしゃってとても嬉しい気持ちになりました。ありがとうございます(^ ^)


さて、早速本題に入ります。


「恋は盲目」という言葉を耳にしたことはほとんどの人があると思います。人を好きになると、その人の良いところしか見えなくなり、周囲の目など気にならなくなるといったところでしょうか。

私は中学生の時に異性と話すことはほとんどありませんでした。純粋に異性に興味がありませんでした(だからといって同性に好意を抱いていたわけでもなく、倉科カナさんやAKB48の板野友美さんが当時好きだった気がします(笑))。


そんな私ですが、高校に入るときにある事を思いつきます。

「恋は盲目っていうし、異性に好きになってもらえれば場面緘黙でも自分が発言できる守備範囲も広がるんじゃね?

そう思った私は毎朝髪の毛をセットし、スキンケアも欠かさずしていました。

若気の至りとはこの事ですね、私は場面緘黙症といっても相手が話したことに対する相槌は打てたので、悩みなど聞いてあげれば好感が持たれると考え数名の異性にLINEを送りました。


具体的な数字は忘れてしまいましたが5〜6人の異性に好感を持たれていた気がします。私の美意識、運動部に入っていたことが良い効果を生んだのかなと思います(笑)(ここから堕落しますのでここだけ私の自慢にお付き合いくださいm(__)m)。


場面緘黙症にとって文書(LINEやツイッター)でのやり取りは非常に助かるツールであると思います。


何と言っても言葉を組み立てる時間が作れます。


私がそうなのですが、言葉を発することができない原因に「今この言葉を相手に言ったら何て返答が来るかな?」とか「場がしらけるんじゃないか」など、言った先のことを考えてしまったり、何かトラウマとなる体験を過去にした結果、発言する意思を放棄してしまうことが多いんです。


文書だとそれをある程度考えることができるので、私にとって好都合でした。(グループLINEは苦手ですが。。)


しかし誰でもわかる事ではあるのですが、好感を持った相手とは学校以外でも会いたいと思うものです。


この頃の私は話せない場面はあったものの、かなり自分に自信を持っていました。第2回の部活動に続き私の予想は見事的中して、話せる相手も少しずつ増えていました。


結論を言いますと、ディズニーシーに行きました。いや、行ってしまいました(笑)

察しの付く方もいらっしゃるかと思います。ディズニーシー、とても楽しい場所ですし私も大好きです。ディズニーについて今後投稿したいと思っているくらい好きです(笑)


だがしかし、異性と2人で行くには相当な信頼関係かコミュ力が必要です。私にはそれが足りていませんでした。。

当時のお相手には本当に申し訳ないと思っていますが、その方を結局愛することもなく、すこぶる緘黙症を発揮してしまい、お互い気まずさに耐えかねて帰りました。

この日を境に「異性に興味がない」を通り越して「異性恐怖症」になってしまいました。


こうして私の場面緘黙症が改善させることもなく、恋が実ることもなかったという話です。(笑)


ただ一つ学ぶことができた事は人と話すことが苦手でも、「文書を使えば人並みのコミュニケーションを取ることができる」という事です。


第1回では「無口でも背中でモノを語ることができる事」をお話ししましたが、第2回では「コミュニケーションのツールは声だけではない」という事がテーマです。


話すことができなくても、外見を整えたり自分のステータスを上げる事で周りから好意を抱かれたり、慕われる存在になることはできると思います。


第3回は私の大学受験の経験について書かせていただきます。ここでも私が得た事をお伝えできれば良いなと思っています。

が、その前に少しコラム的なものを挟むかもしれません。見てくださる方がいれば、よろしくお願いします。