聖書 旧約:出エジプト記 38章9節~20節

      新約:使徒言行録 21章27節~40節

 

 

 みなさん、おはようございます。 おかえりなさい。

 

 今非常に東京、東京だけでなく新型コロナウイルスの感染者数が増えたということで、わたしたちは日々その数字に気を向けて、非常に恐い思いをしているかと思います。 しかし、色々な情報を見ていく中で、数字の持つ意味とは、しっかりとその意味を確認し、また、今わたしたちがとらなければいけないことは何かを確認しつつ、行かなければならないと思っています。

 そういう中にあって、様々な報道の中でも、基本は全く変わらない。それは何かというと、コロナウイルスの感染というのは、医学的には、飛沫感染と言われている感染であって、人の口から出てくる息に含まれる、息の中に含まれたウイルスが他人に移ってしまう。そのことを考えた時には、特に不特定多数の方と、マスクをしない状態で食事をする。簡単に言うと、外食などでマスクを外した状態で移りやすいということがあるのではないかと思うのです。

 また、三密を避けましょうと言っていますけれども、人が密集するだけで移るかというと、特に東京都内で電車に乗って通勤されておられる方、非常に密な状況にありますけれども、換気を良くすることで、電車の中で集団感染が発生したという事例は報告されていない。ということなどを考えていくと、わたしたちが毎週日曜日、礼拝に集っているこの状況というのは、決して三密ではないですし、共にマスクを外した状態で何かを食べるということを今はしておりませんので、この状態というのはリスクを伴った集会ではないということだと思うわけです。 ですので、今後まん延防止等重点措置だけでなく、緊急事態宣言が発出されたとしても、日曜日の主日の礼拝は、わたくしは続けていきたいと思います。

 ただし、その中にあっても、やはり、ご高齢の方とか、体調に不安を感じている、あるいは体調がすぐれない方は、病に対する抵抗力が落ちていると思いますので、その時には決して無理をなさらずに、それぞれご自宅で礼拝を守るというのを選んでいただくというのが、ふさわしいのではないかと思います。 これは、長老会を開いて話をしたわけではありませんが、私が今、報道などを聞き、こうではないだろうかと考え、今日のみ言葉を取り次ぐ前に、少しお話をさせていただきました。

 

 先週はまことの平和について語りました。今週はエルサレムで誓願を立てていた、ユダヤ人の祭儀を手伝っていたパウロの話しに戻ります。

 パウロがエルサレムに戻った時期。それは、過越の祭りからペンテコステに続く、巡礼者が非常に多い時期でした。ユダヤの各地だけでなく、アジア州に住む多くのユダヤ人も、祭りに参加するためにエルサレムに集まっていました。彼らはコリントやエフェソにおいてパウロが伝道し、その中で起きた事件のことを知っていました。また、その時その騒動の中にいた人もいたでしょう。 そのため、アジア州のユダヤ人たちはパウロに対し、特別な敵意を抱いていたと考えられます。彼はエフェソで3年間伝道をしている間に、彼らのうらみを招いてしまった思われる言葉を、20章19節に書いています。

 

 パウロがエルサレムにいたとき、アジア州から来たユダヤ人のある人は、そこでパウロを見つけたので、今度こそ彼に対して、先にエフェソで取り得たよりも強い処置、こらしめを与えようと決意しました。 この時、パウロと一緒にエルサレムに来た異邦人の仲間の一人に、エフェソ出身のトロフィモという人がいました。それで、アジア州のユダヤ人は、神殿の「イスラエル人の庭」と言う場所で、前に誓願した祭祀(さいし)上の義務を果たしているパウロに出会ったので、トロフィモも一緒にいるんだと思い込みました。 「イスラエル人の庭」と言いますのは、祭司やレビ人ではないユダヤ人の男性が、立ち入ることを許されていた神殿の境内の区域のことを言っています。これは、中庭と呼ばれます。異邦人のトロフィモがこの庭、中庭に入ることは、死刑に相当する犯行でした。

 

 当時、エルサレム神殿は、異邦人は神殿の外庭に入ることは許されていました。しかし、内庭には一歩も入ることを許されていませんでした。もしも、異邦人が違反して中庭に入れば、死刑に処せられました。 ローマ当局は、この点について、ユダヤ人の宗教上の潔癖(けっぺき)さに対して極めて宥和(ゆうわ)的でした。この不法侵入に対する死刑の宣告はユダヤの宗教当局者がするのですが、たとえローマ市民であっても免れることはできませんでした。 この当時、ローマがユダヤ人の宗教上の規定について宥和的な措置をとった理由として、ローマ帝国の各地に多くのユダヤ人居留地があったこと言うことだけでなく、多少の違いはあっても、信仰上でユダヤ人が一つであったということです。 また、エルサレムという場所で、信仰上の理由からローマ帝国がユダヤ人を苦しめることがあれば、各地に離散しているユダヤ人の反発を買い、帝国各地に不穏な空気ができてしまう。それは、帝国の安定を脅かすことだと考えて、ユダヤ教の規定については大目に見る政策をとっていたのでしょう。 これは、他のローマの属州にはありませんでした。ユダヤ以外の属州ではそれぞれ別の神々が信仰されていましたので、信仰上の問題からその都市がローマ帝国に弾圧されても、他の地域に飛び火することは考えなくても良かったからです。

 

 さて、エルサレム神殿で、異邦人がうっかり禁止区域に入らないようにする工夫がありました。ギリシア語とラテン語の掲示板が、内庭に入るところの階段一番下の柵に取り付けられていて、これより内に入る者は処刑されると警告してありました。この実物がイスタンブールのトルコ博物館と、パレスチナ博物館に保管されているそうです。そこには、こう書かれています。 

「外国人は何人も、神殿とその構内を囲むさくの内部に侵入することを許さない。侵入して捕らわれた者は、みなその結果として死刑の責任を負うべきである」 このようにはっきりと中に入ってはいけないと、あったわけです。

 また、パウロがエフェソの信徒への手紙2章14節でキリストが「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」たと言っているのは、このさくを念頭に置いていたのではないかと思われます。

 

 アジア州のユダヤ人は、パウロがトロフィモを。つまり異邦人を立ち入ってはならない境内に連れ込んだと一方的に思い込み、パウロは律法を違反した者だと叫び、捕らえようと叫び始めました。この時、このユダヤ人の訴えが正しければ、パウロは律法に違反する重大な罪を犯した責任を問われるにちがいありませんでした。また、エルサレムのすべてのユダヤ人に対して、たちまち彼に対する反対へと向かわせる罪を、犯すことをそそのかしたのだと、問われたでしょう。 アジア州のユダヤ人たちは、このことをよく承知していました。そして、この男は世界中で、ユダヤ人や、律法や、神殿を攻撃するだけでは足りず、神殿に異邦人を引き入れて、実際にそれをけがしたのだと叫んだのです。

 しかし、よくよく考えて見るとこの時、パウロがそのようなことをする理由は、全くありませんでした。すでに話したように、彼はこの時、ユダヤ人教会と異邦人教会が主にあって一つの教会として和解をし、共に主イエスを信じる教会として歩んでもらいたいと願ってエルサレムに来ていました。 そうであれば、あえて、イエスさまを主と信じないユダヤ人を、あおって敵対しようという思いが、浮かぶはずはなかったからです。

 

 パウロの思いに反して、ユダヤ人の叫びからたちまち大騒ぎが起きました。境内にいた群衆はパウロに襲いかかり、内庭から階段を引きずりおろし、外庭に引っぱって行きました。この知らせはすぐにエルサレム中に伝わり、多くの人たちが現場に駆けつけました。神殿の整備官たちは、外庭から内庭に通じる「聖所の門」を閉ざし、群衆が暴行を働いて、神殿の中心部を汚さないようにしました。

 パウロは、外庭で暴徒と化した群衆たちにひどい暴行を加えられ、打ちたたかれました。この時、ローマの守備兵たちが時機を失うことなくその場に割り込まなかったら、彼の命はあと何分も持たなかったでしょう。 当時、神殿区域の西北にはアント二ア城砦(じょうさい)がありました。それはヘロデ大王が建てたもので、ローマの千人隊長の指揮下にあるローマ軍の歩兵隊が守備に当たっていました。

 

 32節に、「千人隊長」と「百人隊長」という軍隊の階級が書かれています。私たちは軍隊には詳しくないのでピンときませんが、「千人隊長」は、その場所にいるすべての兵を統率する司令官という地位。「百人隊長」は、司令官の下で、直接兵を率いて行動する分隊長、と考えるといいでしょう。 城砦(じょうさい)と神殿の外庭とは、ひとたび暴動が起こった時、守備隊が大至急駆けつけることができるように、階段でつながれていました。 神殿で騒ぎが起きた時、ローマ兵がただちに介入できるようになっていたことは、当時エルサレムで宗教に端を発した騒動がどれほど危険なものであったのか、ということを物語っています。しかし、この時はローマ兵が神殿にただちに駆けつけたことで、パウロの命が助けられることになりました。

 

 この時千人隊長は、騒ぎがエルサレム全体に広がっているとの報告を受けるや否や、百人隊長とその兵たちとを招集しました。そして、おそらく200人は下らない兵に階段をかけおりさせて外庭に入り、むりやりに、パウロに襲いかかっていた者たちの乱暴をやめさせました。 千人隊長は、そこでパウロを逮捕し、2人の兵に命じてパウロに手錠をかけさせました。千人隊長はパウロが犯罪人に違いないと思いました。しかし、パウロがどのような罪を犯して、群衆をこれほどまでに激昂(げきこう)させたとしても、千人隊長独自の判断で処罰することはできません。法に従って処断すべきであり、暴動のような暴力によって片付けてはならないと彼は考えました。千人隊長の考え方は、法律で国を治めることを方針としていた、ローマ帝国の考え方に沿ったものでした。

 そこで彼は、パウロは何をしたのか、またどういうものであるかをつきとめようと努力しましたが、その場では、なにひとつ確かな答えを得られませんでした。 暴徒たちがパウロに投げつける非難はひどく混乱し、矛盾していたからです。千人隊長は、事件の真相をつきとめるには、別の方法によらなければならないと考え、兵たちにパウロを城砦(じょうさい)に連れて行くように命じました。 こうして、有無を言わすことなくパウロを奪われて、がっかりした群衆は、パウロを保護している兵たちに迫りました。兵たちが城砦に上がっていく階段にさしかかった時には、パウロが群衆に引きずり下ろされないように、兵がかついでやらなければならないほどでした。 イエスさまが裁判にかけられたその時のように、エルサレムの人々は再び大声で叫び続けていたのです。

 千人隊長は、この状況を推測するうちに、一つのことに思い当たりました。それは3年ほど前、エジプト人の詐欺師がエルサレムに現れ、預言者だと自称し、信奉者の大群をオリブ山に連れて行った事件です。 オリブ山で彼は弟子たちに、彼の号令一下、エルサレムの城壁がくずれ落ちるまで待っていなさい。そして崩れ落ちたら城内に進軍し、ローマの守備隊を打ち破り、その場所を手に入れるのだと命じました。これは、旧約のエリコの陥落を思わせるような偽の預言を、エジプト人の詐欺師が大ぜいのユダヤ人に信じ込ませたというできごとでした。 ところが、それを聞いた総督ベリクスは、一団の軍隊を派遣し、彼らの数名を殺害し、残りの者を捕虜にしました。その時、エジプト人の詐欺師は抜け目なく行方をくらました。 この事件は、ヨセフスという人が書いた「ユダヤ戦記」と「古代史」に記されています。

 

 実際に起きたこの事件で、詐欺師にかつがれた人々は、快よからぬ感情を抱いていたことであろう。千人隊長はその時、今、その詐欺師が見つけ出され、民衆が怒りをぶちまけているところだと思ったのです。 それで彼は、パウロが階段の上まで連れてこられた時、教養のあるギリシア語で話しかけ、階段の下にいる群衆に話しをする許しを乞うたので、驚いて尋ねました。37節、38節。

 「ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。」

 パウロはその問いに、自分はエジプト人ではなく、タルソスというキリキア州のれっきとした都市の市民で、ユダヤ人の家に生まれた者であると断言し、改めてユダヤ人の群衆に話しをする許しを乞いました。 千人隊長が、パウロの乞うた許しを与えたので、彼は群衆の誰しもが上がってこられないように、警戒されていた階段の上に立ち、階段の下の神殿の外庭にいたユダヤ人たちにアラム語の言葉で話し始めました。これは、パウロが話している間、ユダヤ人たちに我慢して聞いてもらうのに多少は役立ちました。

 アラム語は当時、パレスチナに住むユダヤ人たちの日常語であっただけでなく、東はユーフラテス川対岸のパルティヤ帝国に及ぶ、あるいはパルティヤ帝国を含めた西アジアのギリシア語を日常語としないすべての人の共通語でした。 新約聖書の中で「ヘブライ語」とあるのは、黙示録の2箇所以外すべてアラム語を指していると考えられています。

 

 さて、今日の箇所から私たちは何を聴くべきでしょうか。

 一つ目のこと。それは、神殿には庭があり、その場所に入ることができる人と、できない人が分けられていたということです。

 旧約で、最初に神さまを礼拝する場所として作られた「会見の幕屋」には、庭が造られました。「会見の幕屋」が使われた時、その周囲にいた人はすべてイスラエル人でしたので、神さまに直接とりなしの祈りをする祭司とレビ人、そして、それ以外のイスラエル人で神さまに祈りを献げる人という、単純な区分だけが必要でしたので、幕屋の庭は一つでした。 庭が設けられた理由は、聖なる神さまに近づく人間が神さまの怒りに触れて、死ぬことがないようにする配慮からでした。

 エルサレムに神殿が建設された時代になると、神殿に集まる人は、ユダヤ人だけでなく、異邦人もいましたので、神さまに直接仕える祭司・レビ人、ユダヤ人の男性、ユダヤ人の女性、異邦人という区別が必要になり、そのように神殿の周りに庭が造られました。 その庭が造られた理由も「会見の幕屋」と同じく、聖なる神さまに近づくことで人が死ぬことがないように、また、人間の思いからすれば、聖なるものが汚されないようにすることであったと考えられるわけです。

 

 次に二つ目のこととしては、イエスさまが私たちのところに来てくださったことで、その区別が必要なくなったということです。 イエスさまが、ご自身の命を十字架の上で、すべての人の罪を赦す贖いとして、神さまに献げられたことで、神さまとわたしたち人との垣根が取り払われました。 イエスさまが、神さまと人とを和解させてくださったことで、もはや、礼拝の場所における区別は必要なくなりました。

 キリスト教会が礼拝で使う会堂には、司式者・説教者と会衆席との区別はありますが、これは礼拝の進行をすみやかにするためのものでしかありません。司式者・説教者も会衆と共に神さまに礼拝を献げる意味において、立つ場所は全く同じです。 最近作られる比較的大きな会堂の場合、説教者を三方から囲むように会衆席が設けられることが多くあります。この様式は、共に礼拝を献げることをよく表しています。 それでも、説教者と会衆席が分けられているのは、説教者を通して神さまが語ってくださる、という信仰を持ってわたしたちが礼拝に参加するからです。

 

 さて、最後に三つ目のこととして、パウロが捕らえられた時の、彼を取り巻くユダヤ人、ローマの兵士たちの関係です。 神さまがまずこの世から救いたいと願われた、最も小さく弱い民族のユダヤ人が、福音の言葉に反発し、福音を語る使徒をひどい目に遭わせている。一方、異邦人と呼ばれ、旧約ではなかなか神さまの救いの対象として扱わなかった異邦人が、経緯はどうであれ、福音を拒否するユダヤ人から、福音を語る者を保護している。 これは、もはや、福音を信じるか信じないかということだけが、神さまの前での問題となっていることを表しています。 罪を悔い改めて、福音を信じることだけで、ユダヤ人と異邦人の区別なく、すべての人が神さまの救いに与ることができるということを、異邦人の隊長がパウロを不信仰なユダヤ人から保護したという出来事が、示していると言えるのではないでしょうか。

 

 神さまは聖書の言葉を通して。御言葉を通して私たちに真理を語ってくださいます。しかしまた、聖書の中に記されている出来事そのものを通して、私たちに真理を伝えておられます。 聖書に記されている福音の真理をしっかりと受け止めて、どのような時にあっても、堅く主イエスを信じ、福音の恵みに与るものとして、今週も歩んでまいりたいと願います。

 

お祈り

 天の父なる神さま。今日もあなたからみ言葉をいただきありがとうございます。エルサレムでいらぬ疑いから捕らえられたパウロは、異邦人の隊長によって保護されました。このことは一見何も、イエスさまの言葉とは関係がないように思えますが、しかし神さまは、福音を伝える者をどういう形であれ、すべてのことを主のために用いておられるという事実を、この事件が表しているという風に聞くことができると思います。どうか、今を生きるわたしたちは、神さまがわたしたちと共にいてくださり、支えてくださるということを、なかなか実感することができない不信仰な者でありますけれども、しかしどのような時にあっても、むしろこのような大変な中にあってもあなたが、わたしたち一人ひとりと共にいてくださり、助け、支えてくださることを憶えて今週も歩んでいくことができますように導いてください。

 このお祈りを、尊き主イエス・キリストさまの御名によってみ前にお献げいたします。 アーメン。