ヨシュア記 2章

 使徒言行録 9章23節~31節

 

 みなさん、おはようございます。 おかえりなさい。

 

  今年度の年主題は「証しする教会」です。「教会」が証しをすると言っても、建物が証しをするのではありません。神さまを信じる人々が集まる。信じる人々の集団が「教会」と呼ばれていますので、わたしたちが証しをするということです。

 では、何をどのように証しすれば良いのでしょうか?

 礼拝に来られる方皆さんが、牧師のように説教をするということでしょうか? いいえ、そうではありません。「証し」というのは、救い主であるイエスさまを人々に紹介することです。

 以前、わたしの失敗談を話したことがあるかも知れませんが、洗礼を受けて間もない頃。まだ、中学1年生の頃ではなかったかと思いますが、何かの集会。クリスマスの集会ではなかったかと思いますが、証しをするようにと頼まれました。その当時、わたしは証しをするというのは、イエスさまのお話しをすればいいのだと思い違いをしていてました。それで、証しの時に、「狭い門から入りなさい」というイエスさまのたとえ話しをしました。もちろん、聖書に書かれてあることを話しただけでなく、この聖書の言葉は、わたしたちの世の中でどういう意味をもつかということをふまえて話したのではなかったかと思います。

 しかし、それでは、説教に似たような、何でもない話しにしかなりません。とても証しと言えるものではありませんでした。ですので、その話しをし終わった後、牧師の顔を見ると、何か怪訝(けげん)そうな顔つきをしていたように思えますし、教会の人々の反応がほとんどなかったように記憶しています。

 教会学校に長年通っていて、正しく理解していない言葉をあたかも知っているかのように振る舞ってしまった失敗でした。

 

 では、その時、どのようなことを「証し」として話せば良かったのでしょうか? それはおそらく、学校で苦労した時に、自分ではとてもできないと思っていたことが、ふとしたことでできるようになったとか、日常生活でとてもうれしいことがあった時、自分の力ではなく、だれかの助けによって。それも、思いがけないことや、気がつかないことから起きた。よく考えてみると、それは神さまが働いてくださったから起きたことだった。と、話しをすれば、中学生の話しでも、その場におられた方々が耳を傾けてくれたのではないかと思います。

 中学1年生の私に、それも、まだ小学生の延長のような話ししかできない者に、証しをしてくださいと言われたこと。それは、「証し」ということが、特別な学びをしなければならないものだとか、神学的な知識や暗証聖句を豊富に持っていなければならないものだということではないということです。 普段の生活の中で、神さまが働いてくださることにどれほど心を向けているか。そのことを、私たちが「証し」してくださいと頼まれた時に、気がつかなければならなりません。

 

 さて、「証し」は、主イエスを紹介することだと最初に申しました。しかし、イエスさまが登場する以前にも、神さまによって用いられた人。真の神さまを証しするために用いられた人が何人もいました。 その中の一人は、エリコの町に住んでいたラハブという女性でした。彼女の職業は、イスラエルの民だけでなく、おそらくエリコの町の人々からも見下されていた、遊女という職業でした。 彼女は、エリコの町を取り囲む城壁に住んでいました。古代の町は、外敵が攻めてきた時に、町を守るための壁。城壁を築いていた町がいくつもありました。高い壁や厚い壁を町の周囲に巡らすことで、外敵から町を守っていました。その城壁にラハブがすんでいたということはどういうことでしょうか?

 外壁は頑丈に作られていて、人が住めるほどの壁の厚さがあれば、そこは安全な場所だ思いますが、実はそうではありません。敵が攻めてきた時に、町に入るために真っ先に壊したり、火をつけて燃やそうとするのが外壁でした。外壁が壊そうとされている時に、町の中にいる人々は、その時間を利用して、敵に立ち向かう準備をしたり、町から逃げ出す準備をします。 ところが、城壁の中に住んでいたラハブ。遊女にとって、敵が攻めてきた時、まったく時間的な猶予がありません。つまり、彼女たち遊女が外壁で住んでいたのは、敵が攻めてきても、見捨てられる。捨て置かれるような存在であったことを表しています。

 エリコの町の人々にとって、そのような存在でしかなかった遊女。そして、今、エリコの町を攻撃しようとしているイスラエルの民に与えられていた律法にも、姦淫は大きな罪であり、命をもって償わなければならないような重い罪でしたので、遊女は避けるべき存在でもありました。

 ところが、神さまは、イスラエルの民がエリコの町を偵察し、戻る時にエリコの兵隊から追われていたイスラエルの兵を助けるためにこの一人の遊女を用いられました。 彼女は、これから町に攻め込もうとしている敵の兵を匿(かくま)った。なぜ、そうしたか。それは、2章9節から11節にあるように、真(まこと)の神さま。この世界を創られ、イスラエルの民を守っておられる神さまのことを、彼女が正しく理解し、信じていたからです。

 11節。「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。

 ラハブが話したこの言葉は、真(まこと)の神さまを信じているという告白であり、証しでした。 ラハブにかくまわれた兵士たちは、彼女が遊女であっても、正しく神さまを畏れ信じていることを知り、信頼して、エリコの町に攻め込む時に、ラハブと彼女の家族・親戚を助けることを約束して、イスラエルの兵のところに戻っていきました。

 神さまは、外から見られた時に、あの人はとても神さまが褒(ほ)めるような人ではないからとか、優れた人ではないからという理由で、区別されることはありません。その人に神さまから与えられた信仰がまっすぐで、神さまをしっかりと信じている人であれば、だれであっても、用いてくださいます。

 

 さて、新約聖書において、人生を180度転換されられ、神さまのために用いられた人。そう話すと、普段礼拝に来ておられる方は、すぐに誰のことを言っているのかわかるでしょう。イエスさまが復活され天に昇られた後、使徒たちの中で最も大きな働きをした人。パウロがその人でした。 彼は、ユダヤ教を信じるユダヤ人として育ち、ユダヤ教の教師の下で厳しい訓練と教育を受けて、イエスさまと激しく対立したファリサイ派の一人として成長しました。そして、知識の上でキリスト者と対峙しただけでなく、キリスト者を見つけては捕らえて獄に入れるということを、繰り返し続けていました。 当時、まだ小さな群れでしかなかったキリスト者のグループにとって、サウロと呼ばれていた時代のパウロは、恐ろしい人物として考えられていました。 そんな彼が、復活された主イエスと出会い、その人生の歩みを180度変えられたこと。彼の人生そのものが、主イエスを証しする人生となりました。

 

 サウロにとって、復活されたイエスさまと出会ったとことで、自分の生き方が180度変わったことは、素直に納得できることでしたが、周りにいた人々は、彼の変わりように疑問と狼狽(うろた)えを感じざるを得ませんでした。 サウロの仲間の者たちは、最初はうろたえただけでしたが、かなりの日数がたち、サウロが本当に主イエスを信じて、伝道していることに危機感を覚えたので、サウロを殺そうとたくらんだ、と9章22節にあります。その陰謀を知ったサウロは、サウロの弟子たちによって、夜の間に連れ出してもらい、かごに乗せて町の城壁づたいにつり降ろされました。

 

 使徒言行録では、この箇所の記述は短く書かれているだけです。しかし、この事件はパウロの手紙を見ると、くわしく分かります。 一つは、コリントの信徒への手紙二 11章32節、33節にあります。「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れた

 ダマスコは、ガリラヤ湖から見ると北東の方のアラビア地方にある都市です。サウロが回心し、ダマスコに滞在していた時期は、回心するまで学んで来た聖書の言葉、律法、さまざまなユダヤ教の言い伝えがどういう意味で語られてきたのか。自分はこれらをどのように正しく理解すれば良いかという、修養の時期となっていました。彼は、福音を語るのと同時に、聖書に記され、主イエスによって伝えられた福音の意味を理解するために時間を費やしました。 28節で「かなりの日数がたって」とありますが、この出来事に関する二つ目の記述として、ガラテヤの信徒への手紙 1章18節で、ダマスコからエルサレムに戻ったのは回心の後、3年後であったとあります。 3年の間、サウロは自分の修養の時として、ダマスコで過ごし、彼にキリスト教を信じる弟子が与えられるほどの働きと時間を過ごしました。

 

 さて、サウロがダマスコを抜け出し、エルサレムに戻った時、難しい立場に置かれていました。その一つは、イエスさまをメシアと信じていた人々が、サウロの回心は、自分たちを欺いてだますためのものではないかと考えていたからです。 多くの小説等で登場するスパイは、相手をだますために、相手の仲間であるかのように振る舞って近づき、信頼を得た後相手を攻撃するということをします。エルサレムにいた信者たちは、同じようにサウロを迫害する者として恐れました。

 ところが、「慰めの子」と呼ばれるバルナバという弟子は、エルサレムにサウロが戻る前から彼のことを知っていて、使徒たちに案内し、サウロの信仰が本物であることを説明しましたので、使徒たちはサウロのことを認めました。 サウロがこの時会った使徒は、ペトロとヤコブだけであったと、ガラテヤの信徒への手紙にあります。ガラテヤの信徒への手紙で、サウロが会った使徒が二人だけだったというのは、サウロが使徒たちからの教えを受けて、自分も使徒となったのではない、ということを説明するためでした。

 サウロはエルサレムにいた使徒たちと会いましたが、彼らと一緒に伝道するのではなく、29節にある「ギリシア語を話すユダヤ人」。ヘレニストと呼ばれていた人々に対して主に伝道したのではないかと考えられています。 しかし、サウロの回心は、ヘレニストと呼ばれているユダヤ人たちには受け入れられず、彼の語った福音も聞き入れられるものではありませんでした。そのことは、使徒言行録22章17節以下で、サウロと復活された主イエスが話しをする場面で語られています。

 エルサレムでも再び命を狙われる恐れが出てきたサウロは、兄弟たちによって、カイサリアからタルソスへ向かうことになりました。

 サウロ。パウロの伝道は、こうしてユダヤの中心ではなく、ユダヤの外に向かって始められることになりました。 神さまは、用いようとされる人を、その人が願う場面、場所ではなく、神さまの思いのままに用いられます。サウロがユダヤを離れて伝道したのは、神さまの御心が、イスラエルだけに福音を伝えるのではなく、異邦人の土地に広く、世界中の人々に福音を伝えるという点にあったからです。

 

 私たちも、主によって捕らえられ、信仰を与えられ、救われた者として、どういう場面で、誰に対して主イエスを伝えることになるのでしょうか? それは、神さまだけがご存じです。しかし、だからといって私たちは何もしないでいいわけではありません。

 サウロのように、黙ってはいられない。だれかにこの素晴らしい恵みを、福音を語らずにはいられないという思いから、一人でも多くの人に主イエスを伝えようという思いを持って、日々の生活を送るなら、神さまがその場面、時を与えてくださいます。

 その時が、わたしたちがその生き方を通して、主に用いられる時なのです。

 

 この世は病により苦しめられ、不安な中に置かれていますが、その中でも明るく光を放つ主イエスの恵みの業を伝えることができる者として、今週も神さまが私たちを用いてくださることを願って歩んでまいりたいと願います。