聖書 旧約: 詩編 37編23節~40節

    新約: テモテへの手紙一 6章11節~16節

 

 みなさん、おはようございます。

 4月5日以来、約2ヶ月ぶりに会堂での礼拝を再開することができ、主に感謝いたします。

 会堂に共に集って、礼拝をお献げすることができないという、いまだかつてない出来事を私たちは経験しました。会堂に集まることができずに過ごした毎日曜日。私たちはどのような思いで過ごしてきたでしょうか?

 

 聖書に記されている神さまは、神さまの方から私たちと出会ってくださり、その後、私たちが神さまを礼拝するように導かれました。旧約聖書では、信仰の父と呼ばれるアブラハムを神さまが選ばれ、声を掛けられたことから、アブラハムはまことの神さまを知り、祭壇を築いて神さまを礼拝しました。また、シナイ山でモーセを通して十戒を与えられたイスラエルの民は、十戒を与えられた後、神さまと出会うための幕屋。テントを建てて、礼拝を献げました。

 時代が降り、主から油を注がれて王となったダビデは神さまの祝福に応えるために、主を礼拝する神殿を建てる準備をし、彼の子のソロモンが神殿を建てました。また、イスラエルの人々が主から離れて偶像を拝むようになり、国が滅ぼされ、連れ去られた後、再び国に戻ってきた時にしたことは、神さまを礼拝する神殿を建てることでした。

 イエスさまが、伝道を開始される直前、荒れ野で悪魔から誘惑を受けた時、

 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と悪魔に言われ、私たちが生きるために、主の御言葉がどれほど大切かを示されました。

 これらのことから、私たちが毎主日毎、共に会堂に集い、主の御言葉を受け、感謝を献げることがどれほど大切であるか。また、そのことによって私たちが、生き生きと生きることができているということを、改めて知る機会であったのではないでしょうか。

 

 さて、今日与えられた御言葉は、テモテへの手紙です。テモテは使徒パウロの弟子で、パウロと共にアジアからヨーロッパにかけて、主の福音を伝えるために、大きな働きをした人物でした。聖書に収められている、使徒たちの手紙が書かれた時代の教会は、誕生して間もない時代でした。福音の力によって、キリストを信じる人が多く与えられましたが、信仰者が増えるに伴って、さまざまな問題が生じました。また、正しく福音を理解することができないために、福音と似てはいても、違う教えを説く教師たちもいました。そのような状況の中で、パウロとパウロの同労者たちは、伝道をしなければなりませんでした。そして、パウロの弟子のテモテは、4章12節にあるように、年齢が若い教師でしたので、パウロは、「あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。」という注意を与えています。

 テモテへの手紙とテトスへの手紙は、その内容が、個人にあててではなく、教会の管理・運営の方法や規則、教会生活と正しい教えなどが中心となっていることから、「牧会書簡」と呼ばれています。テモテへの手紙では、テモテが教会の指導者として必要となる助言を、パウロが与えているのです。

 

 今日読んでいただいた、6章11節から、16節。

 11節の最初にある、避けるべきこととは、6章3節から10節に書かれていることで、異なる教え、真理に背を向けた言い争い、金銭に対する欲望からくる誘惑、罠、さまざまな欲望のことを言っています。テモテが求めるべきもの。それは、今の教会でも求めるべきことであって、「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和」であるとパウロが教えています。

 では、これらのものはいったいどうすれば得ることができるのでしょうか?何か、特別な修行を積めば、やがて、自ら得られるものなのでしょうか?

 私たちが自らの努力だけで、これらのものを得ようとして、自分の心の中を見つめても、これらのものをなかなか見つけることができません。むしろ、どうすれば、これらの良いものを得ることができるのかと、悩んでしまいます。そんな時、聖書を開いてみると、その答えを与える箇所が、いくつもあることに気が付きます。

 旧約聖書詩編37編23節以降の言葉は、その答えの一つです。

 37編23節に、「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。」とあります。私たちは、神さまに招かれた者として、神さまにお従いしようとする時、神さまがその道を備えてくださいます。その道を歩む途中で倒れても、主はわたしたちの手を捉えて起こしてくださいます。また、必要な食べ物を与えて下さいます。

 27節以下の言葉で示されていることは、主が備えてくださった道に従って歩むこと。自ら何かをしなさいと言うのではなく、ひたすら主に従うことが求められています。

 29節「主に従う人は地を継ぎ いつまでも、そこに住み続ける。」

 30節「主に従う人は、口に知恵の言葉があり その舌は正義を語る。」

 33節「主は御自分に従う人がその手中に陥って裁かれ 罪に定められることをお許しにならない。」

 39節「主に従う人の救いは主のもとから来る 災いがふりかかるとき 砦となってくださる方のもとから。」

 そして、主に従うためには、こうあるべきと37節にあります。

「無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。」

 自ら努力して何かを得ようとするのではなく、主御自身が備えてくださった道に従って歩むことができるように、無垢でありまっすぐに見ることが求められています。

 

 では、わたしたちは、すぐに得ることができないものを求めようとする時、どのようにしているでしょうか?子どもの頃、大人になってしてみたい職業や仕事があれば、そのための準備として勉強をし、必要な知識を身につけます。また、大人になって仕事に就いたら、その仕事が目指すものを実現できるように、自分の力を伸ばすことを考えるでしょう。また、結婚して家事に専念する方は、家族がいつも安心して楽しく過ごすことができるように、家の中を整えるようにするでしょう。どれも、「わたし」が努力して目指すものを手に入れる、実現できるようにしたいと願い、行動します。

 しかし、神さまがわたしたちに願われることは、主に従うために、無垢でまっすぐに神さまを見つめること。神さまから与えられた御言葉に聞いて、主が備えられた道を歩み続けることです。

 

 パウロの弟子テモテは、12節で、「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。」と言われています。では、「信仰の戦い」とは、どのようなことでしょうか?その答えは、エフェソの信徒への手紙6章10節から20節にあります。

 エフェソの信徒への手紙も、パウロが書いた手紙として聖書に収められています。パウロは、悪魔に対して、悪の諸霊、この世に属するさまざまな権威に対して、身を守るために、神の武具を着けなさいと言っています。具体的には、「真理、正義、平和の福音を告げる準備、信仰、救い」を身に着けることで、悪魔からの策略に対抗できると言っています。これらのものは、すべて神さまからわたしたちに与えられる恵みです。「真理、正義」は、聖書に記されている御言葉を通して与えられます。「平和の福音を告げる準備、信仰」は、聖霊なる神さまがわたしたちに与えてくださいます。「救い」は主イエス・キリストを通して与えられ、悪に立ち向かうために、「神の言葉」を取りなさいとパウロは教えています。

 パウロはそこで、「神の言葉」「霊の剣」として取りなさいと言っていますが、これは、聖書の言葉を自分なりに解釈して、悪魔の策略に対抗しなさいと言っているのではありません。 イエスさまが、荒れ野で悪魔の誘惑を聖書の言葉で退けたように、私たちは聖書の言葉を正しく理解することが必要です。

 その上で、6章18節にあるように、

 「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続け」ることが大切です。

 

 聖書を読むと、神さまから選ばれた人々が、困難な場面に出会った時、神さまに祈りを献げることで、主の助けを得ることができたことが数多く書かれています。福音書では、イエスさまがだれよりもよく祈られました。群衆が集まってきて、イエスさまをこの世の指導者として担ぎ上げようとされた時、その場から静かに離れて、父なる神さまに祈りを献げました。

 また、受難を受ける前、御自身のことだけでなく、弟子のペトロや他の弟子たちの信仰が無くならないように祈られました。そして、使徒言行録を見ると、弟子たちも繰り返し祈りを献げています。祈ることは、神さまからのみ言葉をいただいて、それにお応えし、お従いする上でとても大切なことなのです。春日部教会は、礼拝と同時に、聖研祈祷会も再開いたしました。お時間の都合が付く方は、ぜひお越しください。また、時間の都合がつかなくても、今週の祈りの課題を、それぞれの場所、時間でお祈りください。

 

 さて、パウロはテモテに命じた後、12節後半で、テモテのことをこのように言っています。

 「命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明した」

 神さまから信仰を与えられたわたしたちは、さまざまな場面で、いろいろな人に、主イエスを証しする。紹介する機会を与えられています。聖書の言葉を語り聞かせることだけではなく、一人ひとりの生き方そのものを見ていただくことが、主イエスを証しし、紹介することに繋がります。今日、この会堂に集われたということそのものが、神さまによって召し集められて、教会に集った。集うことができたことが、周囲にいる人々への証しとなっています。

 パウロは、続けてテモテに、主イエスが再びこの世に来られるときまで、主イエスを証し続けるようにと、14節でテモテに命じています。主イエスが再びこの世に来られる時は、わたしたちには隠されています。しかし、そのことを成してくださる方がどういう方かは、15節後半から16節迄に書かれています。その方は、この世界の上に立つ唯一の主権者であり、永遠におられる方であって、主イエス以外わたしたちのだれ一人として見ることができない方である。パウロは、主イエスをこの世に再び来させる方である、神さまを讃美する言葉で、テモテへの命令を閉じています。

 テモテへの手紙を書いたパウロは、復活された主イエスと出会うまで、熱心なファリサイ派の一人として、イエスさまを信じる人々を、ユダヤ教の異端であると考えて、激しく迫害していました。しかし、ダマスコに向かう途中、復活された主イエスと出会い、真の主が誰であるかを、主イエスご自身から示されました。そのことを通して、パウロは、真理が何であるかを示され、テモテに書き送った内容のことを、主イエスご自身から示されたのです。

 パウロは、自分の手紙に書いたことを他の使徒たちから教えられたとは言っていません。すべてのことは、主から教えられたということを、使徒言行録22章にある自分の回心について証言したところで語っていますし、ガラテヤの信徒への手紙の冒頭でも、そのことを書いています。すべてのことは、主イエスから。主イエスがパウロに与えた聖霊。真理の霊が教えたことであると、パウロは、自分が伝えた多くの言葉の中で証ししています。

 

 聖書に書かれている言葉はすべて、神さまによってこの世から選び出されて、聖霊に導かれて書かれた言葉です。聖書が一冊の書物として綴じられるまで、さまざまに分かれていた言葉が集められ、編集されて、今、わたしたちが手にしている聖書となりました。聖書の文字を書いた人は多くいますが、すべての人は、編集者であって、原作者はただお一人の神さまです。神さまが私たち人間に聖霊を送り、その聖霊が導き、教えたことから、聖書がまとめ上げられました。

 聖書に記されている言葉が、真理の霊が教えた言葉であり、その言葉は、毎聖日毎、説教者を通して与えられます。神さまの言葉が生きた糧として私たち一人ひとりに与えられる恵みを感謝して、新しい一週間を過ごして参りたいと願います。

 

〇お祈り

 天の父なる神さま。再び共に会堂に集い、礼拝をお献げすることができるようになったことを心から感謝いたします。パウロは弟子のテモテに、教会を導くために必要なことを、聖霊に教えられて、手紙の形で伝えました。私たちは、すべて必要なことを、聖書の言葉として、与えられています。どうか、私たちが真に生きることができる者となるために、日々必要な御言葉が与えられ、そのみ言葉によってあなたにお従いし、永遠の生命へと至る道を歩みつづけることができますように。

 この祈りを主イエス・キリストの尊き御名によって、御前にお献げいたします。 アーメン。