聖書 旧約: イザヤ書 55章1節~11節
    新約: ヨハネによる福音書 20章1節~18節

 

 イースターおめでとうございます。

 イエスさまが十字架で死を遂げられ、墓に納められた時。それは、人々が何も働いてはいけないと言われている安息日が始まる直前でした。ユダヤでは、金曜日の日没から、土曜日の日没までが安息日です。
 イエスさまが墓に納められ、墓の入口が大きな石で閉じられた後、イエスさまをお慕いしていた人々。特に、イエスさまの側にいつもいた名も無い女性たち。彼女たちは、安息日が終わったら、すぐにイエスさまのなきがらが納められている墓に行って、せめて、葬りのための香油を塗ろうと考えていました。
 ヨハネによる福音書では、イエスさまに救われて、イエスさまを信じ、神さまから遣わされた方として愛していたマグダラのマリアだけが墓に行って、イエスさまのなきがらに香油を塗ろうとしていました。
 ところが、彼女が墓の前に来てみると、墓の入口を塞いでいた大きな石が横に転がされているではありませんか.彼女はとても驚きました。彼女は大変なことが起きたと思って、弟子の一人ペトロともう一人の弟子のところへ行って、このことを伝えました。
 ペトロは、マリアの話しを聞いて、本当にそのようなことが起きたのか?と思って、もう一人の弟子と一緒に、急いで墓に向かいました。二人が墓に着いて、まず一人の弟子が中をのぞき、続いてペトロが墓の中に入って調べてみると、イエスさまのなきがらはそこにはなく、ただなきがらを包んでいた布がたたんで置かれていただけでした。二人の弟子は、このことに、不思議な思いを抱いて、家へと戻りました。二人の弟子が、不思議な思いを抱いたのに、イエスさまが復活されたことをまだ理解していなかったからです。

 さて、最初に墓の異変に気が付いたマリアは、弟子たちが帰った後も、墓の前に一人残り、なきがらがなくなってしまったことにとても悲しみを憶えて、泣いていました。彼女が泣きながらもう一度墓の中を見ると、そこには二人の天使が座っていました。
 マリアは天使に向かって問い掛けました。
 「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
 そう言って、振り返るとそこにイエスさまが立っておられました。しかし、その瞬間、マリアは後ろに立っている人がイエスさまであることが分かりませんでした。心が悲しみに包まれ、目が涙であふれていたので、後ろの人物がだれだかわからなかったのかもしれません。
 イエスさまは、マリアに言われました。
 「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
 マリアはその人に問い掛けました。
 「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

 この会話では、マリアはまだ、人間の知識で、イエスさまのなきがらがどこに持ち去られたのかを知ろうとしていました。ところが、次の会話で、大きな変化が起きました。
 イエスさまが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて「ラボニ」、「先生」と答えました。
 マリアが振り向いて答えたと書かれていますから、最初の会話はイエスさまの顔を見ずに、話していたのかも知れません。ところが、「マリア」と呼びかける、復活されたイエスさまが、マリアという一人の人の心に直接呼びかけた瞬間、イエスさまの言葉によって。そして、その言葉は、キリストの言葉として呼びかけられ、マリアは、「ラボニ」、「先生」と答えました。その瞬間に彼女は、イエスさまがよみがえられたことを理解し、大きな喜びに包まれて、返事をしたのです。マリアとイエスさまが交わした会話。最初の会話は、人と人が交わす会話でした。ところが、次の短い会話は、神さまと一人の人との会話に変わりました。

 この出来事を読んだ時、わたしたちは、2000年の昔こういうことがあったのだなと、思います。しかし、実はこれと同じことが、繰り返しわたしたちにも起きています。
 それはいったい、どういうことでしょうか?
 実は、毎週日曜日に行われている礼拝でそのことが起きています。
 礼拝は、神さまが私たちを招いてくださることから始まります。そして、神さまの言葉。聖書の言葉、説教の言葉を聞くことで、わたしたちは、神さまからの呼びかけを聞きます。その言葉が、神さまの言葉として、わたしたちの心の中に留まることで、わたしたちは、神さまを信じ、神さまの言葉によって、新しく生きる者へと変えられていくのです。
 このことは、会堂で礼拝ができず、家庭で礼拝を守る今この時も、わたしたちが、静かに神さまに心を向けて、聖書を読み、この説教を読む中でも起きています。

 どんな時であっても、日曜日、わたしたちが礼拝を守る時、静かに神さまに心を向けましょう。そうすれば、イエスさまがマリアに声を掛けたように、わたしたちに、神さまの呼びかけが聞こえてきます。
 その呼びかけによって、わたしたちは、神さまの愛と平安をいただいて、イエスさまが約束された、罪の赦しと永遠の命に与る希望と確信を与えられます。

 この説教を読まれた方は、新型コロナウィルスによって、病の中にある人の回復、さまざまな困難の中に置かれている人への主の助けがあるように祈りましょう。また、再び会堂に集い、主の呼びかけを共に聴く時が来ることを、心から願いましょう。
 今年のイースターは、それぞれが礼拝を守ることで、いつもよりも、静かなイースターでしょう。それは、イエスさまが復活された日曜の朝が、静かな様子であったと聖書から聞こえてくることと重なって見えるでしょう。
 どんな時も、主による希望と確信を忘れることなく、新しい一週間を過ごしてまいりましょう。

〇お祈り
 天の父なる神さま、今年もイースターを迎えることができたことを感謝いたします。今週も、聖書のみ言葉に聴き、御言葉の説き明かしをいただくことにも感謝いたします。世界中に広がっている大きな病で苦しまれている人々に平安を、そして、わたしたちが再び共に会堂に集って、主を礼拝する時が来ることを祈ります。すべてのことをご存知で、この世に勝利されている主イエス・キリストのお名前によって、お祈りいたします。  アーメン。