My Story 7 | 「折り紙」でアメリカ全土を渡り歩く!2011年東北大震災募金の記録by長島昌志

My Story 7





なんて言ったら良いのだろう?


「終わったんだ・・・。」


あれだけ、日本に帰りたい。友達、家族に会いたいと思ってたのに・・・。


すべてが終わったと思うと、何もしたくなかったな。


何時間でも寝ていられるような感じがしたんだ。











それは、何も変わらない。ここ数日間の同じ「目覚め」だった。


看護士が走り回っている。


体の周りの機材は、さらに少し増えていた。


相変わらず、身動きが取れない。ベットにくくりつけられている。


変わった事と言ったら、「妊婦のように膨らんだお腹」。


そして、わき腹から「太いチューブ」が出ていた事。








微かな記憶の中には、よくTVで見るような。


手術台を照らす「眩し過ぎる光」。そしてそれを囲む全身白衣の人達。



体の痛みはもうない。


指先。足先の神経を確認する。


何がどうなったのか、心配だったけど。


「とにかく、終わったんだ。」そう思った。















脾臓破裂。修復不可能で摘出。


胃の半分を摘出。残り部分を縫合


大腸の一部、さらにすい臓破損で縫合。


手術は6時間、出血1.5リットル。


背骨一部損傷。












たくさんの臓器を傷つけた。


中には、無くなってしまった物もあった。









ベットで寝ているのはイヤじゃなかった。


ただ。ヒマだったな。


毎日1つずつ、何かが取れていった。


「点滴」や、尿道の「チューブ」も首の「ギプス」・・・。





クレアのお母さんは、毎日仕事が終わったら来てくれた。


「今日はどう?」「私はこんな事があったのよ!」


優しく、ゆっくり。よく話してくれた。







アンディとクレアも見舞いに来てくれた。


クレアは「やったじゃない!MS!お腹にこんなカッコイイ傷があるなんて!女の子は、男のキズは大好きなのよ!だって、セクシーじゃない!」


本当かよ?とか思いながらも笑っていた。







ちょうど心臓の下くらいから、ヘソの下まで。約30cm。


「お腹を切り開いた後」。


そして、脇腹にボコッと凹んだ「チューブの後」。


これから、こいつらと一生を共にする。










一週間後くらいだったかな、母親と妹が「病院」に来てくれた。










海外の人の様に、抱き合ったりできないけど。


そこにいたすべての人が、溢れ出す涙をこらえて「赤い目」をしていたよ。


ものすごい「日本人的」だけど、気持ちは十分伝わっていたと思う。









その後、さらに食事のリハビリで1ヶ月ちょっと入院。


とてもヒマだったし、ワガママ言って日本に帰らせてもらった。


入院や通院しながら、「6ヶ月」地元で過ごした。











とても「たくさんの事」を考えた。


スノーボードのことも含めて。


良い時間だった。


今まで、そんなに「考える時間」なんて作らなかったから。







そして、その間たくさんの「素晴らしい本達」にも出合った。


ジャンルにとらわれず、たくさん読んだな。


母親に「アンタは小さい頃、よく本を読む子だったんだよ。」なんて言われて。


脳みそがすべて「スノーボード」で出来ていた人間には、どれもとても新鮮だったよ。笑










そんな時、1本の電話があった。



「あっ!言い忘れてたけど。来年のゲレンデパンフレット!MSの写真使ったから!もう出来てるから送るよ!」







オーストラリアに旅立つ前に撮った写真。


$~ベンゾーさんと僕のCanada2人旅~   「英雄にあこがれて…。」





その後、3年に渡り、撮影した写真を使ってもらった。




$~ベンゾーさんと僕のCanada2人旅~   「英雄にあこがれて…。」





某○○ウォーカーのゲレンデ特集では、何枚も使ってもらった。








うれしかった。







家族や友達に配って「自慢」した!









自分のやってきたことが、またになった。








スノーボードがすべて・・・。






「スノーボードが僕のすべて!」






「スノーボードが僕のすべて?」






スノーボードは夢・・・。










・・・・・。










スノーボード以外に、あるものは・・・・。







「居酒屋」「イタリアン」での少しのバイト経験。



少しの海外経験。



北海道。







どれも「中途半端」だ・・。










25歳。長い1年だった。人生で1番考えた時。















どんなに離れていたとしても「家族の絆」は、確かに存在して。


いつドコで、何をやっていたとしても「心配」して「応援」してくれる。


今まで1度も、僕のやることに「反対」しなかった「家族」。


感謝しています。






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