こんにちは、Pajaです。

今日で私の癌が発覚してから丁度1年になります。

1年が過ぎるのが本当早いです。

この1年で色々な体験をしました。

人生初の入院、人生初の癌告知、人生初の抗がん剤治療、人生初の大腸内視鏡、人生初の医療用麻薬、人生の初の気管支鏡、人生初の手術。。

癌の治療がこれほどまでに過酷で辛い事も初めて知りました。

癌告知される前。。

実は私は癌という病気について良く知りませんでした。

癌の病期(ステージ)というのも知らなかった感じですw

知っていた事言えば。。”転移する腫瘍”、”死にもっとも近い病気”くらいです。

腫瘍が転移している状態だと手術不能と言われた事も忘れていません。

抗がん剤治療を続けて他の転移した癌を小しながら慎重に手術を計画すると言われました。

もちろん、手術できないって事もしらなかったので

主治医の先生に”先生、腎臓は1個になってもいいので手術して取って下さい。”とお願いした事も昨日の事のように覚えています。

それから、インターネットで腎臓がんの事を調べまくって5年生存率を調べて20%という数字しか見えなくなって

子供が成人するまで生きれない。。。。。って思い毎晩、毎晩泣いてしまった事。。

あんなに大切にしてくれた妻に八つ当たりのように色々言ってしまった事。。

私の身体から癌が消えるかどうか気になりつつ病院に通っていました。

主治医の先生に”根治できますか?”と聞いた時

主治医の先生は、とても言いにくそうに。。。。”たとえ、手術で原発巣を取ったとしても抗がん剤は飲み続けなければなりません。根治は、不可能です。”っと言われました。

 

根治不能と言われて気になる事は、”余命”です。

私の主治医の先生は、余命に触れません。理由は、治療方法があるから余命は不明という判断だからです。

きっと私の主治医の先生は、命が終わる事を患者に言うのが嫌いなんだと思う。

 

余命宣告を受けたのは。。セカンドオピニオンを受けた時です。

5年生きれれば上出来。。私の場合、主治医の先生も言っているように”全身転移”している状態ですからね。。。

もう片方の腎臓、副腎臓、両肺、リンパ節、膵臓、腰椎に転移がありますもんね。

 

ただね、人は、どんなに絶望的な状況におかれても必ず希望はあるものだと私は、信じています。

少なくても今生きていてる。今生きている事が希望そのものだと思います。

生きていれば楽しい時間を過ごせる可能性は残っているからね。

辛い現実から目を背ける事もできるかもしれないけど。。

私は、現実を受け入れたうえで、どれだけ楽しい時間を過ごせるのかと言う所に重点をおきたいです。

で、いなくなった後のことも家族に伝えたいしお願いもしたい。。

生きて物事もちゃんと考えられる状態の時に、いなくなった後の事を話せるのは

とても贅沢なギフトなのかもしれません。

私自身そうだったのですが。。健康な時って死ぬ事をあまり考えないから。。

でも、どんなに権力があっても、どんなにお金があっても生きているのであれば

死から逃れられないんです。

縁起でも無い事考えるな、そんな事考えたくないっと言っても

その時は、来てしまうんです。その時が来てしまったらどうして欲しいか聞く事は出来なんです。

だからこそ、今、はっきりとした考えがあるうちにどうして欲しいか伝えたい。

もし、長く生きれるのであれば笑い話でいいじゃんね。

 

ネガティブな感じだけど、私にとってはとてもポジティブな考えだと思っています。

人生をより豊かに生きるには、こう言う事も大切だと感じています。

 

それにしても私は、運が良いほうだと思うんです。

救急搬送された日、今の病院に行っていなかったら。。今頃どうなっていたんだろう。。

今の主治医に会えなかったらとか。。頑張って町医者に行っていたら癌は発見できたのだろうか。。

発見は、遅れたとは言え治療方法がまだ残っている状態ではありました。

 

なにより、病気になっても支えてくれる 親、兄弟、家族、職場のみんな、友達、フォロワー様、癌友がいますし

決して一人じゃないっていつも思えます。

 

治療は、本当どれを取っても辛い事おおいけど

今の状態を維持したいし負けずに生きたいです!!

今でも、抗がん剤を飲む時、これを飲まなかったら楽になれるのに。。って思います。

毎回、毎回ね。。でも、これを飲まないと家族とのお別れの時間が近づくって思うと

飲めるんですよね。支えがある事は、本当、闘病において強力な武器になると思います!

1年を迎えて改めて人は、一人じゃ生きれないって実感しています。

まだ、まだ1年、これからも治療に楽しい時間を過ごして生きたいと思います。

 

 

これからもよろしくお願いいたします。