大切な人を失っても、空は青いし、季節は進むし、仕事はしなくちゃいけないし、お腹は空くし、面白いものを見れば笑えるし、美味しいものを食べれば元気になる。

 

あぁ、辛いことがあっても、手放せないトラウマがあっても、それでも生きていくんだなぁ、って思う。

 

感情が残っている限りは。

 

楽しいとか面白いとか痛いとか苦しいとか嬉しいとか悲しいとか。

 

そういうの、全部無くなった時が一番怖いんだろうなぁ、って思う。

 

そういう時が、一番孤独なんだろうな、って思う。

 

 

「ドリーム」の試写会にテヒョンと共に登場したジョングクを見た時、私は、ここに居たくなさそうだな、って思った。(あくまでも私の持った印象ね)

 

ハニカミにも取れるあの仕草から私が受けたのは「居たたまれない感じ」だったから。

 

何度もああいう場所には出ているはずのジョングクがあんなにも恥ずかしそうで、どう振る舞っていいのかわからない様子、歩く姿もどこか居心地が悪そうで、周りの目を気にしているように見えて。

 

多くのカメラのフラッシュ、耳をつんざくような歓声。

 

テヒョンがいなかったらきっと逃げ出していそうなふうに見えたのは、私だけなのかな。

テヒョンがいつにも増して気遣っていたように見えたのも気のせいなのかな。

 

初めてと言ってもいい2人の公式での露出、こんなん盛り上がるに決まっているし、そのことで持ちきりなのはわかっているし、私もついに来たか、と嬉しい気持ちがないわけじゃないけど、あのジョングクの姿を単純に恥ずかしがっているだけとは見れなかった。(めちゃめちゃ可愛かったけどね)

 

 

誰かが死んでも、時間は止まることなく進んでいく。

 

不条理に晒されても、そこにどんな理由があっても、生きている者には等しく止まることなく与えられている。

 

進むしかない。

それはわかってはいても。

 

等しく時間が過ぎていくように、等しく人はいつかは皆死ぬ。

だから大人になるとそりゃ身近な人を失う経験は少なからず持っている。

 

ただ、ある日突然に、前ぶれもなく、いや、あったとしても気がついてあげることができないままに失ってしまうという経験を持っている人はそれほど多くないと思う。

 

その時の無力感。

自分がどれだけ無能なのか、救えなかった自分が生きている価値はあるのか、生と死について突きつけられる。

 

否が応でも残された方は、そこで強烈に「生きる意味」を考えさせられる。

 

死を目の当たりにすることで、強烈に生を感じるのだ。

 

ユンギの「D-DAY」は私にとってはそんな感じを与えるアルバムだった。

ここからはいつもながらの私の勝手な見解。

 

「大吹打」でも「奚琴」でも、主人公は2人のユンギ。

そしてどちらのMV内でも、どちらかが撃たれる。

 

MVの登場人物を整理すると

「大吹打」には王と平民。

「奚琴」では警察と思われる人物と金を燃やし自分の思うままに生きる人物。


王と警察自体に意味があるわけじゃなく、それは象徴としての表現。

 

権力と富と名声を得た絶対的な存在の王、警察に象徴される社会体制側の存在。

 

この4人の登場人物は全てユンギの中の自分なのだろうと思う。

 

ユンギが繰り返しストーリーの中で殺してきたものはなんだろうか。

 

私はユンギの表現する「殺す」は

「手放す」

ことなのだと思う。

 

または文字通り終わりにしたもの、その状態から抜け出したということだと思っている。

 

自分の中に生まれてしまった驕った感情や、いつの間にか流され持たされた社会的な地位や立場。

 

それを手放すこと。

 

まさに自己の解放なのだと思う。

 

 

王も殺した平民もどちらも顔の傷を持っていましたね。

 

そして「奚琴」では、傷のある人物を撃ったのは傷のない人物だった。

 

王も王を撃った平民も警察も傷がある。

 

 

「AMYGDALA」で自傷シーンで彼が刃を向けたのは右目でした。

 

「AgustD」収録の「The Last」も過去の告白をしている楽曲。

 

その中で

「ミンユンギは死んだ(俺が殺した)」

医者から「・・・したことがあるか?」と聞かれ、躊躇なく「ある」と答えたことを歌詞にしている。

 

その象徴があの顔の傷なのだろうと思った。

 

あれは、一度自分で殺したミンユンギ。

 

けれど、ありえないほどの成功を収めたのもまたそのミンユンギで。

 

見返したい思いや怒りを餌に成功することやお金を手に入れることを目標にして血反吐を吐くような努力をしながら生きてきて、それらを手に入れ王になったような気分になった自分。

 

けれど手に入れてはみてもそれが大きな達成には繋がらなかった。

 

だからそれを一度手放した。

はずなのに、数年後今度は体制側の人間になってしまったような気分になっている。

あれほど嫌悪していた体制側に。

 

今度は、その体制側の自分を手放す。

 

前と違うのは、その銃を撃ったのは、自分で殺したミンユンギではなく、今を生きているミンユンギだったこと。

 

精神的な病を抱え、トラウマを抱え、両親を襲う病魔や自身の事故をなぜ自分だけが?と呪っていたし、成功を収めてもなお満たされない心と墜落の不安があった。

 

それらを受け止め、今を生き、未来のことを口にするようになったミンユンギがこの10年以上の呪縛を手放した瞬間なのだと思う。

 

その呪縛の歴史がAgustDの歴史なんじゃないかな。

 

AgustDでなければ言えなかったことからの解放。

 

 

「AMYGDALA」のMVが最後にリリースされたことには意味がある、と思う。

 

「大吹打」から「奚琴」ときて、その謎が「AMYGDALA」で解き明かされているように。

 

「AMYGDALA」が描けたからこそ、警察を撃つ人物には傷がなかった。

 

傷のない人物は今を生きている自分。

いや、傷のあった自分と共に生きていた自分。

 

このMVにはきっと続きがあると思う。

 

あの開かなかった扉はあの後きっと開いたのだと思っている。

 

過去の自分が今の自分をきっと救ったはずだ。

 

でなければ、ユンギはビートを刻むことも、メロディを書くことも、リリックを乗せることも出来ていないと思うから。

 

それを映像で再現することなんてトラウマを掘り起こすことになりかねないし、ましてやステージで披露するなんてこと、できるわけがないと思うから。

 

 

 

この歳まで生きてきて結局、本当に自分を救えるのは自分だけなんじゃないか、と私は思ってる。

 

どれだけ友人や専門家が手を差し伸べてくれても、自分が生きたいと思えなければ助からない。

 

誰かを救いたくても救えないことの方が多い。

 

でも不思議なことに、彼らに救われた人たちが世界中にたくさんいるのだ。

 

なぜか必要な時に彼らに出会う。

多くのアミがその経験をしていると思う。

 

「Rチッタ」でナムジュンとユンギが話していた。

 

「僕たちの音楽を愛してくれる人が僕たちを通して生きていくのだとすれば、僕たちも同様にその人たちを通して生きていく」と。


ユンギが過去の自分やトラウマを手放し、楽曲へと昇華することができたのはもちろん音楽と自分自身の成長だけれど、そこに少しはきっとそれを愛しているファンが理由にあるのだろうと思う。

 

いつも彼らにもらってばかりだと思うけれど、きっと少しだけ恩返しが出来ているんじゃないかと思ったりする。

 

辛いことや悲しいことはあるけれど、でも、それでも今を生きている。
生きていたら、こうして誰かや推しの生きる理由になれるかもしれない。

 

誰かを助けることはできなくても、別の人のその理由にはなれるかもしれないから。

 

ジョングクが自分を慕っていた後輩が選んだ道について考えたところできっとどうにもならない。

けれどどうしたって思いは拭えない。

救えなかったことと同じくらい、自分だってもしかしたら同じ道を選んでしまうかもしれないという不安に襲われているんじゃないかと思う。

 

もしこの先ジョングクが彼と同じ心境になってしまった時、どうか別の道を選べる理由がいくつもあって欲しいし、そのひとつにファンがなれたらいいな、と思う。

 

そしてこの「D-DAY」の後半はそんな思いが詰まった楽曲が並んでいるように思う。

 

ユンギのソロ活動の理由のほとんどが「自分が伝えられることは伝えておきたい」に集約されているように私は思っている。

 

誰かに頼まれたわけじゃないけれど、届いた誰かが過去の自分と同じように苦しまないで済むように、誰かの救いになるように、と。

 

楽曲に乗せた想いだけじゃなく、シュチタもソロコンもインタビューでの発言も全部全部。

 

メンバーやファンにだけ向けたものじゃないように思う。

 

どうにかして多くの人に届くように。

誰かの救いになるように。

自分自身の救いになるように。

 

そんな想いが最近のユンギからは伝わってくるんだよなぁ、って思う。

 

ユンギがRチッタで言った言葉の中で一番心に残ったのは

 

心配は状況が変わっても無くなることはなくて、それに対して「全て大丈夫だよ」「きっと良くなるよ」と言っても「どうやってもダメだよ」と言っても、結果は同じ、ってこと。

 

だったら心配しないで生きる方がいい。

 

おそらく一番さまざまなものに対して怒りを持っていたであろうユンギが、今陽だまりからきたみたいなフリをして、気楽で心地良さそうな姿を見せるようになった。

 

私も過去の過ちや逃れることのできなかった事に囚われて、最悪のことばかり考えてしまうし、後悔ばかりしてしまう。

 

だからまずは陽だまりのフリから始めようと思う。

 

ジョングクが眠れない理由も気が晴れない理由もわからない。

でもジョングクにも陽だまりが訪れるといいな。

全て大丈夫だよ、きっと良くなるよ、って言ってあげたいな。