7冠おめでとう。

有観客で声出しあり、の1年ぶりのTMA。

他アーティストと一同に会するのは久しぶりなのでは。

 

そんな中でさらに去年からタイトルを増やしてくるとは流石ウリバンタン。

 

 ジン御輿にいつもの警備員スタイル、微笑ましくて温かくて。

 

スピーチ中の周りのチャチャも、スッと前髪を直してくれる優しさも、本番前のハイファイブも彼ららしくて。

 

変わらずに会場を埋め尽くすアミ。

キムソクジンやBTSの掛け声もすごかった。

 

そのど真ん中のステージでお互いに譲り合いながら感謝を述べる彼ら、スーツでビシッと決まっていてステキだった。

 

おめでとう。本当に凄いことだよね。

 

 

 

遡ること少し前、彼らがTMAへの出演が決まった時、私は今年も大賞決定なんだなぁ、って思った。

 

例年の傾向から見ても、基本的に出演しないアーティストには賞は与えられないように思う(もちろん例外はあるし、その多くの例外はBTSなんだけど)。

そしてこの放送局やオーガナイザーと所属事務所が敬遠の仲だったりすると、出演すらせず、賞さえももらうつもりもない、みたいなことがあからさまにあるのが韓国芸能界で、だから正直この大賞自体にどれくらいの透明性があるのか、意義があるのか私にはわからない。

 

でも、みんな大賞を喉から手が出るほど欲しいと思っているだろうし、そのファンも獲らせてあげたいと思っているだろうと思う。

 

でも、今のBTSの出演決定の時点でそれは到底無理なこと、と諦めるのではないかと思っちゃう。


去年も他のアワードには出席していないのに、なぜかこのTMAだけには出演しているので何か太い関係があるのだろうことはなんとなく想像がつくし、そんなBTSが出演する以上、大賞を他のアーティストが獲ることはほぼないだろうということは大多数の人が感じたことだろうなぁ。

 

今のBTSはそれくらいの力がある。

 

でも正直に言って今年、活動らしい活動をしていないことは明白。

活動休止ではないにしろそれに近い感じで。

カムバはしたが、全てサノクのみ。

本放送への出演はなかった。

 

私には他グループのペンの友人もいて、その子から聞く彼らの頑張りも知っているだけになかなかに複雑だなぁ、と思う。

 

でもじゃぁ、出演するBTSを差し置いて大賞を獲れる他アーティストがいるか、っていうと飛び抜けたものがないのも現実で、難しいのかもしれない。

 

あぁー、複雑だなぁ。

じゃー、彼らにどーしろって言うのよ、って話なのはよくわかっているけれど、このどーしよーもなさが私の中では消化しきれない想いなのだろうと思う。

 

そんな思いで迎えた当日。

予想の通り、いやそれ以上にたくさんの賞を獲り、最後は大賞までも手にした。

 

見てる私もやっぱりね、そりゃそうだよね、って感じだったし、彼らも飛び跳ねて喜ぶような位置にはもういないのだということもよくわかっているし、番組の構成上とっくに結果は知っていただろう。

 

それを踏まえての彼らのメント、彼らの受賞時の様子。

 

本来なら奢りでも昂りでもなく、そりゃそうだよね、って思うはず。

彼らも自分たちの立ち位置を知っているはずだから。

 

だから去年のように普通にもらって、普通にコメントをすると思っていたけれど、少し違う様子に見えた。

 

彼らの態度、彼らの発する言葉。

 

そこから私が感じたのは「自分たちじゃない感」でした。

 

全然手放しで喜んでいない、だからって「でしょうね」って感じの貫禄でもない。

若干の居心地の悪さとバツの悪さ。

 

獲るべくして獲っているのだし、与えられるべくして与えられているし、それに異論のある人はいるまいってことはわかっているけれど、なんか申し訳ない感じが見て取れる。

 

のちのナムジュンの言葉を借りれば「恐縮」。

そうだ、これがピッタリくる。

 

出演は事務所が決めたことだろうし、出演したからには大賞だろうなんてことくらいはわかっていたはずで、でも自分たちの活動は自分たちが1番わかっているし、今まで逆の立場で感じていたことは少なからずあったと思うし、だからってどうすることも出来ない、くれるって言ってるものを拒否するなんてことなどできるはずもなく、いっそオチョラゴ状態になれたら気が楽だろうけど、そう簡単なわけでもなく、その心情からメントでもなんとなく変な風にへりくだったかと思えば、自分たちはすごいんだ、って言ってみたり、とにかく居心地が悪そうで、見てる私もなんかモゾモゾするというか、なんというか。

 
私以上にこのことについて「どーしよーもなさ」を感じていたのは彼らだったのだと思った。

 

それは各々のコメントの端々から感じた。

 

コメントといえばナムジュンだが、今まではナムジュンの言葉が1番難しいと思っていた。

感情を抑え、あえて直接的な表現は避け、素敵な表現で感動的な言葉を使い、または別の言葉で言い換えたり、または比喩を使ったり。

 

でも最近はあまりにストレートな物言いが多いなぁと思う。

そして自分の気持ちを隠さないような気がする。

 

でも隠さねばならないことも多く、でも言ってしまいたいこともあって、だから支離滅裂な、辻つまが合わないことを言ったりして、私の心を掻き乱す。(これについてはまた書きたい)

 

昨日のメントを取ってみても、メンバーの中で1番テクニックを使わず直接的に複雑な心境を表現したのはナムジュンの

 

「今年僕たちがその方々(他アーティスト)より素晴らしい活動ができたのか正直分かりません」

 

という一文だったと思う。

 

そして他に印象的だったのは「僕たちが今までやってきたように」とか「元々僕たちは」とか「正直だった僕たちの通りに」など、まるで

 

今の姿は本来の自分たちの姿ではないんだ

 

ということをアピールしてくるような物言い。

 

 

他メンバーにももちろん同じように気になる表現はいくつもある。

 

「皆さんの選択が間違っていなかったことを証明します」

「防弾少年団のファンということが恥にならないように」

 

なんていう言葉はデビュー当時彼らがよく口にしていた言葉。

 

最近は聞くことがなかったように思うので気になった。

さらに今までもアミの頑張りについて必ずお疲れ様、と言ってくれていたけれど、今まで以上にそのことに感謝を述べ、ファンダム内が荒れていること、自分たちの活動にファンが不安や不満を持っていることをわかって発言していることも見てとれた。

 

それから

「価値のある人たち」

「僕たちがかなり努力した」

「ウリメンバーが凄いと思う」

 

などお互いや自分たちを褒め労うような感じも、なんだか今までの受賞コメントとは異質。

 

極め付けはナムジュンはこの大賞を「10年頑張ってきたことへの積み重ねの愛と感謝と真心を見せてくれた結果」としていう解釈。

いや、2022 THE FACT MUSIC AWARDSなのよ、っていうツッコミが自然に出ちゃいましたよね。

たしかに彼らの功績は素晴らしい。

でも2022のアワードな訳で、K-POP功労賞みたいなものならいざ知らず、その解釈は流石に無理がある。

 

そう解釈せざるを得ないほどに今年の自分たちの活動は「オブ・ザ・イヤー」としてはふさわしくないかもしれない、という心情が出てると思うわけで。

 

でも堂々の7冠。

すごいね、良かったね、って思うのと同時に、本当に欲しかったのかな、という想いが私の心を掠めていく。

 

会食の時に明らかになったこと。

彼らはこういう状況が辛かったのではないか?と思う。

 

またタイトルが増えて、「全部は分かっていない名前」が増えて重たいはずだ。

 

側から見たら羨ましい状況であるはずのこの当たり前のような大賞受賞。

喜ばなきゃいけないけど、でもどこか引っかかる自分の気持ち。

でも引っ掛かってるだなんて言えるはずがない。

だって他の人からみたら凄いことなのだから。

 

そして当然だけど喜びのコメントを求められる。

 

これって、国連でのスピーチやホワイトハウスに招待された時と同じく、「この場にふさわしくないんじゃないだろうか」という不安の中ででも与えられたことをやるしかなかったし、それによって受ける賞賛の大きさに戸惑っているという状況と全く同じなんじゃないか、って思ってしまう。

 

自分たちがアジア人の代表としてアメリカ大統領と会談すること、全世界の若者の代表となって国連で発言することと韓国国内の1アワードを受賞することと同じにしてはいけないかもしれないけれど、自分たちが担ぎ上げられてる感アリアリのこの状況はことの大小ではなく同じなのではないかと思う。

 

それは取りも直さず来週の釜山での公演も同じことが言えると思う。

 

あれだけ揉めに揉めてる釜山公演についてこのTMA授賞式でも度々話題にしたのには違和感があるし、やたらと期待してくれだの、すごいことが起こるだの、正直に話せるだの、なんとも誘導されているように思ってしまうのは私が穿ち過ぎなのか。

 

だってあんな大規模なイベントを無料でやるのだからそれなりのリターンがなければ意味がなく、そのリターンとはすなわち多くの人に興味を持ってもらい、多くの人にシェアされ、多くの人に釜山の地名を知ってもらい、その素晴らしさを伝えることなのだから。

 

言わされているのかどうかはわからない。

 

でもあの場であれほど釜山の話を出すことには違和感しかない。

 

そう思う時、このTMAに出演した意味が透けて見えるような気がするのだ。

 

 

あの日の彼らの姿を心から楽しんで受賞を喜んではしゃいでいた、と受け取る人もいると思う。

でも私の目から見た彼らはちっともはしゃいでなんていなかった。

 

言いたいことが言えないけれど、わかって欲しいと涙したあの時と変わっていない。

笑顔だけど、なんか違う。

 

むしろあの時以上に自分たちに向けられているアミの気持ちが痛いほどわかっていて、だけど言えないことはさらに増えて、大事な国からのお役目を控えていて、言葉を選び、細心の注意をして。。。

 

彼らが政治的に担ぎ上げられている、あるいはHYBEが自ら担がれにいっていることは間違いのないことで、そうなってしまった今は抗えないことが増えすぎてしまった。

そのひとつが兵役の問題だと思うし、この釜山問題だと思う。

 

釜山で何か発表があるかどうかはわからないし、あってもなくてもいいけれどいずれにしても、本当のチャプター2は釜山公演が終わってからなんじゃないかと思う。

 

 いや、そうあって欲しいと心から願っている。

 

だって会食以降も何も変わっていないと感じるから。

 

彼らは自分たちが置かれている状況を変えたいと思っているのだろうと思う。

それは今の状況がしんどいからに他ならないわけで。

 

そのしんどい案件はいくつも絡んでいるのだろうけど、こうやって音楽賞に出てきて、自分たちの活動の成果とは関係なく自動的に格別の扱いを受けることはその中のひとつだと思う。

 

自分たちの手応えがないのに賞賛だけは勝手に集まってくるこの感じ。

自分の実力で勝負している感の無いこのループから抜け出すためのチャプター2なんじゃないかなぁ。

だからソロ活動に軸足を置くのだと今になって理解できたような気がする。

 

だって、このTMAで彼らが見せたあの表情、彼らが発したあの言葉は、彼らが決して現実を見ずに与えられた称号を欲しいままにして、お山の大将の如くにその賞賛の上に胡座を掻いていないことの証明だったと思うから。

 

この活動で大賞をもらうことへの違和感。

その複雑な心境をちゃんと表現していたと思うし、そう感じる当たり前の感覚が彼らにはまだ残っているんだなぁ、と思った。

 

彼らは当然成長し変わったし、守らればならないものも増えたと思うけれど、変わっていないコアの部分を見たような気がする。

 

それはジョングク言うところの「ただ音楽が好きな7人が集まって一生懸命やっただけ」であり、「皆さんの永遠のアーティストになるために努力する」ことなのだと思う。

 

そして防弾少年団をこれからも続けていくという意志も、彼らの目はまだしっかりとアミを見ているということもわかったような気がするのだ。

 

だからこそ気になるのはこのTMAでのパフォーマンス。

ステージに7人が揃っているだけで幸せであることはたしか・・いや、私は全然たしかじゃない、んー、幸せは幸せだけども。

 

他アーティストがこのためだけのスペシャルステージを組んでくる中、何ひとつ手の入っていない、何ひとつ驚きもない、激しいダンスがある訳じゃないのに音やリズムを外したあのパフォーマンスを観て、ガッカリしたことは素直にここに記しておきたい。(イヤモニの問題だけじゃない、他のメンバーもそうだった)

どんな気持ちで他アーティストたちのステージを観ていたのだろうか。(観てないかな)

 

彼らを擁護する言葉を並べることなんていくらだって私にもできるけど、彼らはこういうのを1番嫌っていたはずの人たちなんだよなぁ、と思う。

体調が悪くたって、ちょっと振りを間違えただけで、ちょっと声が裏返っただけで、泣いていた人たちなんだよ、と思う。

どんな逆境も非難もアンチもバチバチの歌とパフォーマンスで黙らせてきたのも彼ら。

 

歳をとってパフォーマンスも変わっていくことは理解できてもあれで自分たちはよくやったと思っていたとしたら、そして釜山公演がもしあんな感じだったら、きっと私は相当に悩むと思う。

 

この誘致活動に積極的かどうかは別として、キメるところはバチっと決めてくるのが彼らだし、TMAでもあれだけ期待してくれと言ったのだから素晴らしいものにしておくれよ。

国がどうとか、政府がどうとか、万博がどうとか、兵役がどうとか、そういうの関係なく純粋なファンと彼らの熱量のやり取りを見せてくれると信じたいなぁ。

 

行かれる方、どうか怪我なくご無事で楽しんできてくださいね。(誰からも聞かれていないけど、私は声出しなんてしたい人がすればいいし、したくない人はしなくていいと思う。郷に入ったら郷に従えなのはその通りで、韓国のイベントなら韓国式に従った方が楽しいことも多いけど、コロナで声出ししたくない人もいるし、嫌な人だっているし、公演のなかった数年間、生きてる推しが目の前にいるだけで胸がいっぱいになって応援どころじゃない人だっているよなぁ、とも思う。「イルアミは〜」とか「○○ペンは〜」とかってすぐにデカい主語になっちゃうの、なんとかしたいですね。イルアミみんな同じじゃない。そして撮影に関しては、うーーん、そもそもグレーだからねー、いや韓国でも本当はクロなのよ。でもまぁまぁお互い様だよねぇ、って思うのは小声で。グッズは胸の高さまでしとくってのはこれもお互いの気遣いの上に成り立ってることだよね。お隣さんや後ろの人たちと楽しく仲良く応援できると良いよねぇって思う。それが1番だよね)