ここまで本当に長々と、お叱りやご心配をいただきながらも、私が感じた気持ちを書いてきましたが、結局行き着くところはキムナムジュンになる。

 

今回のこの決断はナムジュンの影響が大きかったと思っている。

ナムジュンが理由、だったと言ってもいいくらいだと。

 

揺るがないジンの考え方、揺るがないユンギの音楽への情熱。

他メンバーたちもそれぞれに成長し、防弾少年団を支える力にはなっているけれど。

 

でも、ナムジュンが潰れたら防弾少年団は立ち行かない。

 

これはなんとなくずっとわかっていたことだったと思う。

それくらいナムジュン=防弾少年団、だと私は思っていた。

 

みなさんはどうでしょうか。

 

もちろんメンバーそれぞれにそれぞれの事情があり、欲もあるし希望もあるし、感情もあったとは思うけれど、そのナムジュンがもう出来ない、ところまで来てしまったことが理由なんだろうなぁ、とあの会食の様子を見ていて思った。

 

あの日、私が1番印象的に感じていたことは、ナムジュンがほとんどの時間を使って自分の気持ちを表明し、ユンギがその意志に都度都度合いの手のように同調していたこと。

 

そこから思うことは、この決断はナムジュンの意向が強かったこと、ユンギはその意向を肯定し続けることでナムジュンをサポートしていたこと。

 

公の会見などではこうやってナムジュンとユンギを中心に受け応えをしていたけれど、メンバーだけのコンテンツなどでは他のメンバーに話を振って、自分はいつも喋っているからと、あえて発言を控えているように私は見ていたので、この日ナムジュンがとにかくよく喋ることがその証明なような気がする。

 

自分の決断を自分の言葉で自分の責任の元に話しているように感じたから。

 

翌日のナムジュンのWeverseでのコメントの中の「もっとも多くを語った当事者として」にもそれが表れているなぁ、と。

 

いつの日か防弾少年団の全ての責任を自分が持つような気持ちになっていたのだろうなぁ、と思う。

いや、初めからそうだったのかもしれないなぁ、とも思う。

 

だから「僕は防弾少年団ではなく防弾少年団の一部」の発言に胸が苦しくなる。

いつの間にかナムジュンにかかる重さは計り知れないものになっていたのだろうと思う。

 

自分の発する言葉が全てチームの総意と受け取られてしまうこと。

 

チームとして向かっているところと、自分が目指しているところが同じだった時は何も感じていないけれど、そこがズレてきた時、違和感が生まれ苦悩が生まれるのだろうと思う。

 

ナムジュンが繰り返し言う「チーム」。

ちゃんと意味を持って使っていると思う。

それはメンバーだけじゃない、ってこと。

 

前から繰り返し書いているように、彼らは1人の尊重されるべき人間だけれど、防弾少年団はどこまでいっても商品であって、その方向性やその戦略について彼らだけで決められることなどないと言っていいと思う。

 

防弾少年団をBTSにしたかったのはきっとチームの意向。

それに同意していたメンバーはいたと思うけれど、少なくとも過去の発言からも、ナムジュンはずっとそう思っていなかったように思う。

 

それが今回の会食で明らかになった。

 

「僕は防弾少年団のRMとしていたいんです」

 

の言葉が彼がもっとも言いたいことで、もっともそうであろうとして苦しんだ理由なのだと思う。


 

ユンギが最後のメントで、「みんなが幸せでいて欲しい」と言った。

そして「なんのために音楽をやっているのか、それは幸せになるためだ」とも言った。

 

きっと全員、音楽を始めた時「幸せになるため」だなんて思っていなかったはずだ。

 

がむしゃらに走って、良いことも悪いこともさまざまなことを経験した結果、幸せでいないと音楽は続かないってことに気がついたのだろうと思う。

 

それどころか人としての成長も、人としての歓びも、喜怒哀楽すべてが、幸せでないと感じることができないと思う。

ナムジュンのくれた「Bicycle」はそんな内容なんじゃないだろうかとあの時の記事でも私は書いている。

 

怒りや悲しみですらも幸せでないと感じられない。

 

音楽を作る者として、感情が死んだら何もかも終わりだと思う。

 

伝えたいことがなくなったらラッパーはどうやって音楽を作るのだろうか。

 

人の感情を借りているようでは心に響くラップは作れないだろうということぐらい、素人の私でもわかる。

 

今やラッパーもたくさんの種類がいるだろうけれど、ナムジュンはそういうタイプのラッパーだと私は思っている。


「歌詞を書く時も、どんな話をするかどんなメッセージを込めるかを、とても大切にする人間」

 

の言葉に続いて

 

「生きる意味」

 

だと言ったナムジュンが何もわからなくなってしまって、伝えたいことが出てこなくなってしまった、という事実はとても重いことだと思う。

それはナムジュンが人生を賭けたラッパーという職業の死を意味するから。

 

 

今回の決断を「忙しくて遊びにも行けないし、好きなように恋人も作れないし、話したいことも自由に話せないし、お休みもないし、他にたくさんやりたいことだってあるのに、みんなの期待に応えるだけの生活なんてもううんざり」ってことでしょ、と思う人はいると思う。

 

もちろんそれが理由でも私は全然理解できるし、堂々と言ったら良いと思う。

なんなら言わないで密かやったらいいのに、とも思う。

 

でもナムジュンはそれだけじゃなくて、「生きる意味」を失ってしまいそうになっていた、っていう事実。

 

だとしたら、私はナムジュンに生きていて欲しい、と思う。

 

防弾少年団でいる限り、彼はリーダーであり広報であり何かを求められることがなくなることは無い。

つまりはこの苦しみから解放されることはない、たぶん。

 

それでも彼は「防弾少年団のRMでいたい」と言った。


ナムジュンって人は、理由がないと動くことができない人だと思う。

理由もわからずただただ何かをすることは多分できない。(私もそう)

自分が納得してからでないと身体がついていかない人。

 

だからそんな彼が防弾少年団を残したことには大きな意味があると思いたいが、私はその判断をつけることすら今は難しかったんじゃないか、って思っている。

 

方向性が全くわからなくなった状態で、頭の中がクリアではない状態で大きな決断をすることはできないだろうと思う。

 

それは後戻りができないことだから。

 

だから本当にナムジュンが本来持っているものを取り戻して、クリアな思考になった時、もう一度考えるのだろうと思う。

 

ナムジュンだけでなく、メンバー全員にその時間は必要であったし、その身軽さも必要なことであったと思う。

 

そしてその時間は、メンバーだけでなく他のチームを構成しているスタッフ、事務所関係者にも必要なものであったと思う。

 

それは私たちファンにとってもそうなんじゃないか、って思ったりもする。