私のキリスト教とのご縁は

小学生の頃でした
 
日曜日になると近所の教会に
日曜礼拝に行ってお祈りをした後
牧師さまのお話を聞いて献金して帰ります
当時、背の高い中学生のお兄さんがいて
みんなのリーダー的な存在でした
クリスマス会とか〜うろ覚えだけど
私はそのお兄さんが好きだったみたい😅
 
その後高校はミッションスクールだったので
毎日朝は聖書を読み賛美歌を歌い
月曜は栄光館でパイプオルガンの演奏に合わせて
全校生徒で賛美歌を歌う日々でした
 
主の祈りは心の支えとなり
社会人になって逆境にあうと
眠る前に心の中で語りました
 
小学生の頃に行っていた教会も
ミッションスクールもプロテスタントだったので
偶像はなくロザリオも必要なく
至ってシンプルなものでした
 
洗礼を受けたわけでもなく月日が経ち
結婚後は主の祈りからも遠のいていきました
 
幼い頃から主とは何かしらの繋がりが
あったのだなぁと思うと共に
聖書が読みたくなりました
 
今ではiPhoneの聖書アプリで読むことができる
時代ですね
 
HORY  BIBLE  音読聖書です
 
 
キリストと富める青年
   
ある富める若者がキリストに永生の道を問い、
律法の教える道徳を欠けなく実行していると
自負したが、財物への執着を断ち得ない点を
指摘され失望して去ったという福音書中の一節を
描いたものです
マタイ伝19章16以下
 
 
   主の祈りもまだ覚えていました💖
 
               主の祈り
 
天にまします  我らの父よ
願わくば御名を崇めさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに会わせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄えとは 限りなく
汝のものなればなり
 
アーメン
 
マタイの福音書   6章5節〜