左義長が終わり
 
今年の暖かな冬を過ごしながら
日々の出来事に小さな不安を見つけてみたり
ありもしない過去や未来に恐れを抱いてみたり
 
けど どこかでもうわかっている
テキストを読むとそこには神の愛が溢れていて
今まで感じる事のできなかったどこまでもどこまでも深い愛の導きが
溢れている
 
自我は聖霊に何を求めることもできないが
わたし自身は聖霊になんでも求めることができる
 
 どこまでも 揺るぎない愛を感じるとはこんな感覚なのかなと思えてくる
 
 『キリストは私の中に居る。そしてキリストは神の一部なのだから
  キリストが居るところには 神が居るはずである。』
 テキスト ~贖罪の受容~より
 
わかろうとすると読み進めないのですが
ハートで感じる感覚で日常的に学べればいいなと思うようになりました
 
   ココロが揺らぐ日はまずは聖霊と共にいるんだな
   キリストと共にいるんだなと思うと愛で満たされるような
 
   これが平安な心の状態なのかなと
 
 少しづつまわりの実相が穏やかで優しく 愛に満ちて見えて
 嬉しくて ただ嬉しくて涙しかない時もあります
 
 油断するとまた違うビジョンで見てしまうけど
 それすらもそうな風に見るだけではないよ~と即せるようになりたいものです