雪の降る日  
昏々と眠る   本を開き数行進むといつの間にか眠落ちている
 
それでもようやく読み終えた
奇跡講座の教義がまた素晴らしい要約で
まったく私はその入口すらにも立っていないのだと改めて思えた
 
朝、テレビを見ながら朝食を作る
何気に新商品の紹介など流れまさにその商品が何なのかが
映し出されるタイミングで~ダンナがチャンネルを変える    
心の中でチッと毒づく
 
雪の生活では大量に降り積もった雪を巡り人の心がざわめく
友達は毎日違法駐車の車を監視しながら
この車があるせいで除雪車が入ってこれなかった・・・
いつかしっぺ返しがくるぞと毒づく
 
天罰がくだればいい   そんな思考・・・あるあるである
イヤ 神は天罰なんかくださないんだけどねと言いたいけど
これは幼児期から親に教えられた刷りこみで私も思っていた
悪い事をした輩には制裁を ってまさに2元的な思考
 
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ケネス・ワプニック氏によれば 
罪悪感を自分の中に見る事はあまりにも耐えがたいので
怒りや攻撃という形で他者に投影することで何とか逃れようとする 
これが人間社会のあらゆる場面で見られる怒りと攻撃の投影の仕組みである。
 
実相において神と神の子は一体である
 
これらの怒りや攻撃は神から分離してしまったと
信じている者の愛を求める叫びなのだと。
知覚を転換する。 
これが奇跡講座の赦しでありキリストの心眼ビジョンである
 
真の赦しの実践のためには神の愛とサポートが欠かせないと語る
自分は常に完璧に神に愛されている。
聖霊がサポートしてくれている、決して傷つくことは無いとゆう信念なしに
赦すことはできない
その為には自我を手放し本質的に霊であり神の子なのだと知覚を変える
必要がある     内側の徹底した知覚の転換が必要
 
実践はたぶん一生かけても終らないのだと書かれている通り 
 
私もまたレベル2での
 
間違った心 ~ 自我~ 罪悪感~ 恐れ~ 否認~投影(特別な関係)
                憎悪  〈この世的な〉愛 →罪悪感
 
           ここをグルグル巡っている模様
 
正しい心 ~聖霊~ 贖罪~ 奇跡~ 赦し~
 
         神聖な関係~ 聖なる瞬間~ 癒し~ 救済
         延長(Ⅱ)  幸福な夢~ 真の自覚 ~ 実相世界
         
         第一レベルでの 一なる心の状態こそが天国の世界となる
        
 
   日々何がしかが起こっている  ように知覚している
          どうも・・・ すでに終わっている筋書き通りの世界を
                  粛々と時にざわめきながら過ごしていく感覚
                    まったく どうにもまだわからないのですが
    幸福な夢には 
      やはり感謝の想いと愛であると 
                        今さらながら想うのであります