昨日のてんつくまんとmoi,のツボちゃんとの

門前町での壺焼き芋は大成功だったようです。

 

てんつくさんとは別のご縁で繋がっている方も

やはり田谷さんのところの支援で

すでに能登に入っていてる男性がいました。

そことはまた別で災害支援医療チームのサポートで

今日からしばらく珠洲市に行かれる方がいます。

 

みなさんの行動力、すごい。

 

そのてんつくマンと、田谷さんは

連絡を取り合っていおられたのですが

忙しく動かれているお二人

今日、やっとお会いされ繋がったようです。

 

☆ ☆

 

14日に岐阜からの物資を能登まで届け

炊き出しに行った人の中にも知人ゆきちゃんがいました。

 

6人の女性で公民館で500人分のけんちんうどんと

たくさんのお漬物を作てこられたようです。

震災から2週間ぶりの食事らしい食事だったようです。

 

朝4時に岐阜を出て

夜は9時に能登を出て岐阜には深夜2時半に到着。

もちろん能登に行かれる方たちは

手弁当、燃料も、水もすべて持ち込み。

 

(泊りの方は車中泊かテントです。)

 

14日の日帰りで行ったゆきちゃんは

現地ではトイレも自己責任だから

水分もあまり摂らず

断水の能登入りしてからは一度もトイレに行ってないって。

ほんとは膀胱炎になったり、

ドロドロ血になったりするので

身体にとって良くないのだけどね。

 

田谷さんのところでボランティアをされてる方

下田さんが克明なレポートを書かれていましたので

シェアさせていただきます。↓

 

能登半島地震ボランティア『レポート』

▼ボランティア先

・現地団体

ー Sunrise みずほ 田谷さん

・ご縁

ー 森の遊学舎(大西さん)

・支援先

ー 羽咋郡志賀町

ー 輪島市門前町避難所

▼経緯

・Sunriseみずほ(キャンプフィールド)の田谷さん(漁師)が現地で個人的に支援物資の配布や被災地の把握を行っていて、大西さんのご縁で支援活動のお手伝い。

・田谷さんは実家が門前町のため、支援活等を全国の仲間と共に支援活動を行っている。

・郡上からは大西さんが情報を取りまとめて、岐阜から提供可能な物資を届けていたり、今回のようなお手伝いの間口を広げている。

▼ボランティア内容

・支援物資の仕分け

【状況】

金沢の仲間が全国からの支援を取りまとめ(個人)、金沢から、Sunriseみずほへ有志により連日運搬されている。

【業務】

Sunriseみずほに届いた物資を開封し、避難所ごとのオーダーに合わせて物資整理。

・支援物資の配送

【状況】

田谷さんが被災者とご縁があるため、情報連携の上、ボランティア可能。※現在、県としては基本的には一般ボランティアの受け入れをしていない状況(と聞いています)

【業務】

ー支援物資の配布

ー追加で必要な支援物資ヒアリング

ー現地でできる範疇のお手伝い

▼日程

・01月12日

郡上から支援物資を預かり、羽咋郡志賀町へ(車中泊)

・01月13日

ー午前:支援物資の仕分け

ー午後:支援物資の配達(輪島市門前町周辺)

ー夜 :支援物資の仕分け(24時くらいまで)

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▼思ったことをつらつらと

・移動

ー余震

初日、志賀町で車中泊をした際、少し大きな地震が。

被災地では日々この余震と向き合っていると実感し、その時の一人だったので怖さも。

ー積雪

道路のひび割れや隆起が見えにくく、移動は日中が良い。

支援物資が重たい場合、ブレーキがききにくいという初歩的な話も。。。

・Sunriseみずほで起きていたこと

ー支援物資で溢れかえっている。

避難所によって必要なもの、不必要の分別が追いついていない。

避難所もキャパがあるので、仕分けは重要。

(→今回、この整理が私の主な業務)

ー情報整理

ボランティアも出入りが多いので状況説明が連日必要。

各地域への支援依頼、情報整理、避難所への物資振り分け、スケジュール管理などかなり煩雑な情報管理業務。

(→大西さん大奮闘中!)

・支援物資は現地に届いていない!?

【仕組み】

赤十字や行政主体の支援物資は大きな拠点に集約されている。

【現状】

しかし、その拠点から各避難場所へ配送されていない。

【理由】

仕分ける人的リソースの課題と、配送方法の課題。

そこのお手伝いを調整するひともいない状況。

【今後に生きるとすれば】

支援物資が届くまでのリードタイムはまだまだかかる状況を加味した、支援物資のチョイス(市外からの支援として)

・避難場所で感じたこと

ー2週間が経過して、布団・飲み水・避難食などの最低限のものは整備されてきている。

ー400人〜30 人単位、施設の老朽化具合、立地条件など、避難場所によって環境が大きく異なり、対応も異なる。

ーこどもがいる家庭は市外への避難が進みはじめている。そのため、避難所の人数把握など流動的な情報集約が追いついていない。

ー断水が続いている。小さな避難所は電波環境も整備されていない。

ー10日目まで、カップラーメン2食+アルファ米+お菓子といった食生活が続いていた場所がこの地域ではあった。

(お湯はカセットガスで交代交代)

ー感染症の拡大。トイレや部屋の管理が大変。

ーそんな中で、お年寄りのケアなど行う施設の方の姿は本当に尊い姿だと感じました。

ー物資配達の中で「これは他の場所に届けて」といった自分だけではない配慮の姿もすごい姿勢だと感じました。

ーガスや灯油がある場所ない場所あり、炊き出しができてない場所もある。灯油も節約のため、300人に対してストーブ10個程度といった状況もあり。(昼はさらに削減している)

・町の様子

ー夜は連日氷点下まで温度が下がり、積雪もある状態

(震災時はあたたかいので、家を飛び出たときは防寒や積雪対応までは用意できていなかったのではないか?)

ー各地からの支援があるまでの最初の10日間は、その地域の行政職員が中心に対応。今は他地域からの職員支援と交代交代で現場が動いている。

ー昼は倒壊した家の様子を見たり、物を整理する人の様子も。

→ 今後の炊き出しは、人が避難所に集まる夜が効果的という声も。

ー火災リスク

→ 消防は復興支援に注力されているため、火災系の対応は通常時より負担が大きい

→ゴミの処分は埋め立て

ー避難所の管理者の経験や体制などの差が生まれる仕組み�(特に公民館主事などの市民の方はその責務に疲弊している姿も)

・市外からできる支援

ー非常にもどかしいですが、最適な解はわからないです・・・

ーボランティア

物資の中間管理施設前後の移動の手伝いは必要そう。

ただ、ボランティアの受け入れ環境も当然整備されていないので、誰でも行ける形ではなさそう。直近は日帰りで荷物を運搬できるひとなどが良いのかなぁ。。。

今回は田谷さんがいるので動けますが、各避難所での荷物整理や受付業務が増えるのはそれぞれの負担が増える構造。

ー支援物資

消耗品についても一概に条件設定が難しい。

→カイロは過剰な印象(今だけかも?)

→尿漏れパッド、ナプキン、ゴミ袋、ボディーシート、雑巾、使い捨て皿などは必要度の濃淡がある

└ 今回のボランティア業務から思ったこと

※避難所へ届ける物資を段ボールのものを仕分けする業務をした立場として(各家庭ようへのとなると話は別です)

→ひとつの段ボールの中身を同種類の支援品にする

→ダンボールは中身が見えないので、段ボールの外に内容を記載

 →内容、数量

 →積み上げてもわかるように側面2箇所、上部の計3箇所に書いてあると親切

→ちょっといいものだと嬉しく、優しい。

例えばゴミ袋だと、金額によって薄さが変わってくると思いますが、やっぱり厚みのあるものの方が、運搬や耐久性の観点からありがたいとなるなぁとの声でした。

→ダンボールはできるだけ「丈夫」なものを。

ーその他

・こういったご縁があったからこそ、ボランティアに行けましたが、基本的には「待った」の状況は既存の仕組みと余震リスクのなかでは仕方ない部分もある気がします。

・とはいえ、現場に人が全然足りていないのも現状で、ニュースで知る以上に大変なことを知りました。

→ラーメンの話や、寝る場所、今回配布した靴下がとどくまで靴下の替えがなかったという人も。

・避難をしている人、自分も被災している立場という状況で、町を支える仕組みに関われる人が不足している状況

・まだ、全体の規模感がわからない、かつ、常時の現場での動きができない中で、支援物資や支援金、もっといえば国からの支援なども?「平等」に配分するといった仕組みがスピード感を弱めているように現場のヒアリングから実感。

となると、現在の仕組みが今後も続くとなると、災害対応の「備え」の観点はもっともっと考えることが重要。

・これからインフラが整備された先の支援としては、被災地の生活の質をどう高めるかの話だと思った時に、炊き出しの準備や、体制づくりなどは今からでもできそう。

・また、今後の生活環境で廃棄される生ごみなど対応も重ねて検討。

・常時であれば考えられる、情報整理の仕組み化やそれを支えるツール開発など、できることはある気もしますが、避難現場を見ると、本当に日々の暮らしでいっぱいいっぱいな状況下でできることは限られてしまうのが、現段階の復興支援の難しさ。

・支援する人を支援する仕組み

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仮設住宅ができるのもまだ先の話で、これから冷え込む中で、安全に平穏な暮らしが早く訪れることを願っています。さまざまな考え方がある中で投稿も検討しましたが、これからできることを考える情報共有や、今後の自分たちの備えのメモとして、シェアします。

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(以上、下田さんより)

 

☆☆

 

そしてその能登で活動を続けられている

サンライズMIZUHOの田谷さんの記事↓

 

私は元気です。

 

この4日間 門前町を重点的に回ってました。

本部が近い所は物資が豊富と思い

大きな避難所を後回しにして端っこの小さな避難所から回ってました。3日前から門前公民館、門前高校、門前東小学校、門前中学校と回ったのですが 全くまともな食事さえ支給されてません。

1/3〜ほとんど毎日カップラーメン

×2の毎日。1個の日もあってお腹が空いてお菓子を食べて飢えを凌いでましたと…

240人収容の門前中学校も同じ。

そんな状態で健康が保たれるはずもなく 昨日から10人ペースでインフルエンザ、コロナで学校内に隔離されてます。

この3日、ウチのPROJECTへの野菜の支援が大量だったので重点的に搬入しました。そして温かい汁物の炊き出しボランティアも入れました。

爺ちゃん婆ちゃんの喜び方は半端なかったです。

昨日は岐阜の阿蘇さんを初めとするチームが けんちんうどんを提供してくれて漬物、いちごも。

そんなお年寄りが好む食事、体調の悪い避難者のための優しい食事は大人気でした。

19日にはこの10年一緒に福島の保養をやってきた真宗大谷派 常福寺の浄ちゃんの紹介で金沢から豚汁などの炊き出しが提供されます。

問題山積みの中 問題なのはほとんどの避難所が学校で 体育館の天井が高く寒いこと。そのための灯油が微量しか支給されてないこと。そのため雪の日も昼間はストーブを消してます。私が行った3日前は広い体育館にストーブが3台、お年寄りが布団に足を入れて寒さを凌いでました。

行政に怒りを感じます。

諸岡地区の門前西小学校も同じでした。明日の灯油が無いから助けてくれと…こちらから既に2000リッターの灯油が提供されてます。

とにかく元学校や公民館の避難所内は寒いです。地震で高い所のガラスが割れたままだったり、サッシが外れたまま…

贅沢をさせようなんて思ってません。

最低限の生活を…

昼間、ストーブを消して防寒着を着て過ごす。

上水施設が崩壊したため 壊滅状態…5年先なのか…廃業って文字が頭を過ぎる中年男性とか、悩みは尽きないと思います。

2時避難、移住、色んな選択筋があると思いますが、私はこの土地に残る人達に寄り添うことに徹します。

 

避難所からの私への要望書きます。

 

紙コップ小 大量

断水が続いてるのでコップが洗えず、お年寄りだから量も飲めないし、大きいコップは高いから。

発砲のお椀

13cm径、15cm径

そんなに食べれないから大きな丼は必要ない。

木かプラスチックのお椀にサランラップを敷いてご飯を盛って食べると洗わずに済むがせめてビニールを感じないでご飯を食べたい。

ティッシュペーパー

インフルエンザ、コロナが次第に蔓延してます。

(箱でも袋でも構いません)

パン

賞味期限の長いパンもあり、また極僅かですが支援され始めました。

スウェット上下

(裏起毛)2L.3L

ドン・キホーテ 1200円

下着(上下)

 

高齢と寒さのためお漏らしも頻繁にあります。

洗濯機が使えないためそのままの事も多々あります。

ここ数日の冷え込み、氷点下の日も多々あります。

最低限の生活が出来るようご支援下さい。

 

未だ宅配便は金沢止まり…

能登保養の金沢集積所として金沢市議の経営するメロメロポッチをフル活用させて頂いております。

 

送り先

〒920-0362

金沢市古府町西113番地

メロメロポッチ

電話076-266-0775

 

義援金受付け

ゆうちょ銀行 タヤ タケヒロ

記号 13120 番号21136091

 

先の見えない支援活動ではありますがご協力お願い致します。

 

 能登保養PROJECT

 代表 田谷武博