「カミーノ」再び。
翻訳は、山川夫妻。
アウト・オン・ア・リムの翻訳も同じく。

当時、「聖なる予言」のヒットで、私が、スピ系のワークで
一番最初にさんかしたのが山川さん夫妻のものだった。
HPも貪るようにして読んでいた。

偉大な役割を持ってきたシャーリーにも
翻訳してくださったご夫妻にも、こころから感謝します。

「カミーノ」の全編に満ちたスピリチュアリティーの高さ。
素晴らしい。

昨日の日記の続きでもあるけど、
レムリアの両性具有から性がそれぞれに分離したこと。
男と女の創造。

分離した当初は、肉体は分離したものの、
精神的、霊的には、両性具有のままだった。

本当なら、そのまま、調和がとれた状態が続けばよかったんだけど
三次元の地上的な物欲や、快楽に溺れ退化していった。

霊的な調和の崩壊によって、環境も崩壊していった。
それらは常に調和して繋がっていたから。
人間の行動による電磁波の集合的なひずみが
地球自体の電磁波のひずみをもたらした。
地球は生きている有機体で、
人間の感情や行動や扱い方に反応するからだった。

そして…レムリアは沈んだ。

元は、オリオン対戦から来てるのかもしれない。
繰り返す崩壊。
アセンションの失敗。
今度が7度目の、この時。
今度こそは、って思うわけです。

そのための今生での生き方。

古いカルマを解き、同じ間違いを繰り返さないよう。

霊性を高めていくことも、そのため。

「カミーノ」の話の中には、レムリアの時代、
ETの存在や、遺伝子工学の専門家も登場する。

そのあたりは、シャーリーの瞑想の中で観たビジョンなんだけど。
私的にはとても腑に落ちる。

この本の中の言葉では、
一夫一婦の結婚の形が、霊的な成長にはよいそうだ。

人が、創造主のもとに帰還し、原初の神性に戻るために、
わざわざ、損傷を感じ続けながらも
性的な分離を選択した。ということになる。

そこにキリスト教の原罪って考え方が入り込んでくるけど
それを選択したい方はそれを思考に入れて考えるだろうし。

いやいや、楽園の木の実を食べたことを「罪」ととるか
それとも人間に課せられ制限され
コントロールされたものの支配から
真実を知り、自由になり本来の輝きを発揮するか。

本当に、始まりより先にあった原初のところを創造主というなら
それは、人間の進化を妨げることを喜ぶだろうか。
同じように創られたものの進化を阻止するだろうか。

人間の進化に関わってきた存在たちは、
サポートもしてくれていたけれど、中には、
光り輝き現れ出でて、啓示を与え、奇蹟を見せ
「神」と呼ばせたものの中には、いろんなものもまぎれてて。

コントロールや支配は要らない。
失われたDNAを復活させたい。
そのために、霊性まで失われているのなら。

その方法が秘儀とか魔術とか錬金術とかで伝えられてきてるのかも。
古代ミステリースクール、密教や、陰陽師、古神道…。
古代の遺跡や、古文書に見え隠れしてるもの。

あと、「カミーノ」の中の文、どうしても書いておきたいこと。

『カルマの法則の成就と解放は次のとおりである。喜びの一滴はとても強力で不安さえも思いやりに変える。それは、あなたが与えたものはすべてあなたに返ってくるということ、そしてあなたとあなたのまわりの人々の人生を向上させるということを知ったうえで、あなた自身を惜しまずに与える能力である。…(略)…すべてのものの中のエネルギーに気がついたとき、あなたはすべてのものの中に神が実在することを理解する。すると上部のチャクラと下部のチャクラの統合が起こり、あなたの中の男性性と女性性、あなたの中の神と女神が結婚するのだ。
カルマの法則とは、昔の出来事が自分に返ってくることではなく、あなたの魂への帰還である。あなたが神に目覚めるとどんな状況にも対応できる力がもたらされる。
悲しみとは、あなたに動く力がない状態のことだ。あなたが悲しみを捨て去ったとき、喜びがやってくる。カミーノ巡礼で悲しみが喜びに変わるのは、自分の魂を再発見することなのだ。』

~~~~~以上。

悲しみが、いつか喜びに変わるビジョンを描きつつ。

喜びさえも、最終的には自分で選び取るしかないけど
何もできなくもどかしく、非力さを感じてしまうけど
ただ、ただ、祈る。

すべての人の健康を。
すべての存在の平安を。


本当に寄り添うということは、
一緒になって悲しみ苦しみ怒り不安を共にすることではなく
どうか、その雲の上にある太陽の光を共に見て。

前にも書いたけど、もう一回。(長くてごめんなさい。)

本来、誰もが持っている光の部分。
光であり、愛であり、本質の部分。
そして、それを魂という。
それは良心でもある。

誰もが持っているから、嘘をついたり悪さをしようとすると
良心がチクチクとして、その「本質」の存在を教えてくれます。
愛や光や本質を見失わないように。

生まれたての子供は、そこしかないからピカピカ。
ぷるんぷるん。
子供は無邪気。

無邪気の邪とは、よこしまのこと。
よこしまがなければ無邪気。

ウィキで、よこしまとは
(じゃ、よこしま、dishonest)とは、ねじ曲がって正しくないこと。
道理にはずれている こと。また、その人、さま。

私たちは、生きていくうえで、そのときは必要で
身につけてしまったことがたくさんあります。
思いの癖、思考パターン、思い込み、勘違い…。
さまざまな感情たち。
身を守らないといけなかった鎧も、
そのときは防衛のために必要だと思った武器も。
今となっては不必要なものっていっぱいあります。

そのあたりをやっていくワークやセッションもありますね。
すべては、その本質に戻すためのもの。

スピリチュアルの世界もニューエイジの世界も
すべてが愛とか光とか、言ってる。
すべては自分の中にある。
その愛とか光を輝かせ、その自分を活かしていくってステキでしょ。

なぜ、その光とか愛とか本来の本質が発揮されてないのか。

たとえば、太陽。
太陽ってどんなか言葉で表すと、
明るくて、眩しくて、温かくて、優しくもあり強さもあり。
無条件の愛にあふれ、大きく、平等で、快活で、エネルギッシュで…。

しかし、台風が近づいてきて雲がいっぱい出てきて太陽を隠し
雨も降ってきて、風も出てきて、雷まではじまったとする。

地上で見上げてる自分の中に、不安や恐れが沸き起こるかもしれない。

それと同じ。

自分の中に、不安や恐怖がある時は
雲とか雨とか、それを見て問題だとか悩みだとかだと思っている。

自分を高めて、雲を突き抜けてしまえば
そこはいつも平等に陽の射すところ。
下でなってる雷も気にならない。

それは物理的に飛行機で肉体を雲より高くに持っていかなくても
深い瞑想で意識を飛ばさなくても、幽体離脱しなくても、
ただ目の前にあることを、ちゃんと向き合って一生懸命やることでも
そこへたどり着ける。

やってくることを避けたり、逃げたり、観ないふりしてると
課題はいつになっても終わらない。
いろんな形での応用問題は必ずやってくる。

いろんな機会で、私たちの本質の愛とか光を思い出させれくれる。
いつだって、どんなときだって、そこが基本。基礎。土台。

土台となるここがなかったら、しっかり出来上がっていなければ
その上に何かを積み重ねようとしても無理です。

さあ、本質の光を思い出そう。

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