明日は、朝早いってのに、こういう時に限って書きたくなったりする。
ギリギリのせっぱつまらないと動けない自分だったりする。

前に日記で(7月28日)
『いつもオリンピックはリアルでは見ないんだけど。
勝ち負けのあるのって好きじゃなくって…ってのがあるのね、私の中に。』
って書いたことがるんだけど。
その日記では、国で対戦なんて…と思いながらも
国と言うことに関しては、ネガティブだと、と前置きして
青の語はあえてポジティブな書き方したけどね。

その、スポーツ競技に対して私が思ってることと同じことを、
いつも読んでるブログの方が買いていらっしゃいました。
ほんとシンクロが多くて…。
私はスポーツ観戦も、スポーツも好きじゃないのね。
野球とかサッカーがテレビで流れるだけでも好きじゃないのね。
あの歓声が…。

この間気づいたんだけど、
近くに小学校があって風向きでお昼休みの校庭で遊ぶ子供たちの声が
駅を降りて自宅へ向かう途中に聞こえ出して
最初は獣の鳴き声かと思ったの。
家畜の断末魔の声かと思ったら、子供たちの雄叫びだった。
興奮した歓喜の声。

スポーツ観戦のサポーターの興奮した声と、感じが似てなくもない。

そして、近いと思えるのが格闘技。
格闘技なんて、とっても見ることができない。
耐えられないんです。

運動会も大嫌いだったわ(笑)

白い足袋に、白い体操服とショートパンツ、紅白の帽子。
親が来て、巻き寿司と、青いミカンと、バナナやゆで卵。
そんな時代だった。

勉強も体育も、先生も、学校自体が大嫌いだった。

わけわからない納得できないことがいっぱいで。

まったく気分じゃないときに、
決められたことを決められた時間に
決められた場所で嫌でもやらないといけない決まり。
朝起きたら、嫌でも行かないといけない場所。
私の感覚では、自分が自分でいられない場所だった。

勝ち負けのあるスポーツも
一等から順に順位を付けることも
偏った変な評価しかしないことにも
すごく違和感があった。

学校で評価されること以外は価値がないことなのかって。
無意味なのかって。
その価値観が嫌だった。

勝ち負け。
競争心、闘争心をあおる。

悔しさは、向上のために必要なのかもしれないけど。

良いとか悪いとか二極。
二元性。
統合。

どうしても、そこに意識がいく。

私の持ってるテーマがそれなのかもしれない。

楽しいことだっけしていれば幸せだけど
さらなる学びのドアを開けて、それを選んだ自分がいるんだから。

すべては繋がっているのだから
自分の中に、自分の中のそれを統合させればいいだけ。

一昔前なら、そんなこと言ってれば、
重いもの背負ってる感じかもしれないけど。
それとも、まだまだ重い人には重すぎることだろうけど。

周波数を上げたらきっと、楽しみながらもできるはず。

やりたいんだ。

そして、高い波動は伝播する。