那向醒案


私の骨格は西洋では多く見られるタイプらしく。

西洋…世界で圧倒的に人気のある自転車競技はトラック短距離ではなく、ロード長距離です。レギュレーションはありますが、ロード長距離はフレーム形状もまだ競輪よりは自由度が大きいので、昨今は後ろがちいさな三角形のフレームも多く存在しています。競輪には今のところ許されていません。後ろ三角形が小さいと、内曲がりの膝でもフレームに擦ることなく大いに脚全体を用いやすく、高いスピードを長く出すことが可能です。

かんたんにいうと、私の骨格は競輪に向いておらず、ロードレースに向いているんです。

しかし、とにかく理解がなく、息子の発言を頭ごなしにバカにしてばかりの父親、私の態度を姉の態度と混同して記憶してしまうような母親のもと(一応、何割かは低空飛行苦のせいだとわかっていますが)、ロードレースに通じる最低限の初期資金の優位性を獲得できず、私は今に至るわけです。

私は約十年前に競輪場入りするまでの25年間、親に買ってもらった自転車は、最初の子ども用の1台しかありません。あとは近所の方々のおさがりや、中古シティサイクルをお年玉で買うとか、自分の生活費のなかからやりくりして長い目でみた減価償却的な前提(バス、電車に乗らないで自転車で移動する)で買うとか、自力で買い揃えてきました。

競技用というのは消耗品ですから、落車などで壊れても買い換えられるようなわかりやすい資金源が必要ですが、実用ならば落車なんか死に直結する確率が高くてもってのほかだから、長持ちさせるものなのでわかりにくい資金源でも可能なわけです。それを利用して人知れず下積みをやってきたのです。なので私には、公道での実用走行に関しては、プロの競技者よりもノウハウとテクニックがあります。そのかわり、自動車のシタミチの法定速度をバンク走行で超えるのは至難の業でした。


フルタイム残業ありのバイトをする、ジムに通う、多少無理してもさまざまなモノをつぎつぎに買う…これらはわかりやすい資金源としてのパトロンのいない私が、経済を少しでもまわしながら、遠回りでも途切れることなく挑戦を深化、走りを進化させていくための、競技者としては恵まれない人間にとって必要なことです。

とにかくわかりやすい資金源を得やすい環境に生まれ育ったひとはその見地からモノを言って、ときに遅々とした成長の私をバカにしますが、私からしたら自力での実質経済と関らない担がれたボンボンども、と逆にバカにしかえすことも可能っちゃ可能です。


──なぜそんな苦しい思いをして生きている?

恵まれない人間はそりゃ、苦しい思いをしながらも死なないからには生きていかねばならんですよ。別の視点でみれば私だって恵まれているんだとか、己をなだめながら。




おはようございます🙂