那向醒案如来




二十年前くらいまではよくオリンピックを TVでみていたんですよ。あの頃からしたら随分変わったなあというところから話します。


日本の柔道は良くも悪くも…少しだけ悪い意味が多いと思ってますが…ほとんど変わっていないです。


ただ、空手の型がいったん種目になったり、いま特筆すべきはスケボーですよね。スケボーが種目になり。そこからストリートカルチャーを浚う感じでブレイキンも入ったんですねーと。


賞金と名誉のためにアマチュアが真剣に取り組んでいた頃と変わったのは、プロフェッショナルが入ることでむしろ緊張感が削がれていったところですね。プロは別にそこで結果が出せなくても、そのスポーツで引き続き飯が食えるんですよ。体を動かすのってガチガチに緊張していたらなかなかやおいかんから、プロは持ち前のリラックス方法さまざま駆使してそりゃぁタイム的なものテクニック的なものでいえばハイレベルなものをみせてくれるようになったでしょ。


でも、精神的にはだいぶ緩んだとおもうんです。


サンクコストが少ないぶん、真剣勝負の濃度が減って、🔍️円谷幸吉さんのように思い詰める方はもうほとんどいなくなった。ギリギリ張本くんが近い心理にはなったけど、彼はルーツから来るものがあってか少しだけ思い詰め方の角度が違う。


いいんですよね。自殺しないってことは良いんです。


けど、自身を殺さないことは良いことだけど、自分を殺さないことってのは少し話が違ってくる。



誰かのために自分を抑制すること、自分を殺すこと、これ、自身が生き延びたり皆で生き延びるために必要な場面はあると思うんです。これができなくなるほどの緊張の緩みというのは、じつは単に食べているご飯がいいから、暮らしている環境が良いから勝てるみたいな、もうただの収入と支出の話になると思うんですよ。



スポーツみたいな無形財産的なものに大事な事って、やっぱり収入と支出のあいだにある、工夫とか努力とか精神性だと思うんですよね。アマチュアのみに限られていたオリンピックがプロに解禁されるようになって、そこがすごい勢いで削がれている。これが、二十年前くらいまではよくみていたオリンピックを、なんだかみなくなっていった理由でありますね。昔と変わったところ。




で、ブレイキン。



ブレイクダンスを初めてみたときは、ああ、これはクラシックバレエへのアンチテーゼ、カウンターカルチャーだなと思ったものです。



長い歴史とノウハウのあるクラシックバレエを高いオカネを出して順序よく習えなかった者たちが、それでもクラシックバレエの技のあれこれと同等のものを表現したくて編み出した、いわば底辺のクラシックバレエだと。




だから音楽も音ハメやビートを優先する角張ったものを用意し、ピリッと背すじを伸ばしつづけるより、だらりとダウンの基本姿勢をとる。まっすぐまえをみずにまっすぐのまえのほかのすべてを歓迎する。



クラシックバレエのひとたちがストイックに培ったものを、見た目の要所要所だけとりいれてあとはカジュアルにストリートに、ただ数をこなすだけで練度を上げていく。それはもう、クラシックバレエに対して喧嘩売っていますよね。私は最初みたときそう感じましたよ?クラシックバレエ習ったこともなかったけど。



クラシックのいいところってじつは努力すれば誰でも到達できるところというのを高く見積もったうえで、そのあとのさらなる良し悪しを才能でさばくところなんですよ。総合的にみたらたぶん、クラシックのほうが散財していないと思うんですよね。一見高いオカネかかるんだけど、その後の回収率とかかんがみると、わりと散財していない、手堅い趣向だとおもう。



で、そのクラシックバレエへのアンチテーゼとして始まっているから、ひねくれればひねくれるほど、斜に構えれば斜に構えるほど歓迎される。私はダンス自体習ったことないんで、まぁそれを下品として切り捨てることもなかったけど、そんなに素晴らしいものだと言い切ることもできないし、切る人は切るよねって思う。



そんな、切る人は切るブレイクダンス=ブレイキンをもって、プライドをもってオーストラリア代表を見下すのって、なにかこう…。諧謔的な事態だよねと思うわけです。



ちらとオーストラリア代表のダンスみてみたんですけど。ときおりすごいところからキメにつなげていて、そこにいくまでが大変に単調だから、もっとその独特なキメを増やして早送りするような構成にして、そこにいくまでの退屈さを減らせば、胸のすくよな新しいブレイキンが生まれるのになってところが惜しいと思うものでした。


要するに私からみたらクラシックバレエに対するアンチテーゼがどの程度であるべきかなんて、ひねくれればひねくれるほどほんとうにいいのかなんて、わからんわけですよ。ブレイキンが長らくアンチな時間を紡いできたのは知っているから、それが本筋だと言いたいんだろなってのはわかるんですけど、でも音楽がコンピューター頼みのビートやリズムに決まりきっている現状、そこから少し動いてもブレイキンはアンチテーゼを進んでより自由になれるはずなのに(クラシックがどうもそこに進む気がないから)、そこに踏み出さないのはまるで、男性蔑視をすることを男女平等なんていうやつらの、アンチに居座り続けてポジションにしてしまうっていう、そういう愚かしさみたいなもんをね、みてしまうわけですよ。




せめてコンピューター頼みの音楽からは少しくらいは動き出そうとしてくれよって思うんですよね。コンピューターだってさ、恵まれたお金持ちじゃなきゃ扱いきれないわけですよ。アンチテーゼな見た目で悪ぶって、そのじつは裕福な冒険も知らぬやつらってんじゃ、もうかっこ悪くてしゃあないゃないかぃ。







そんなわけでブレイキン。


かのじょが代表になるオーストラリアったらオーストラリアではブレイキンはその位置が現状なんでしょうから、なんかバカにするってよりかは裕福ならば交流して、少しでも、こういうのがクールなんじゃないか?みたいなのを高め合ったほうがええんゃないの。




知らんけど!!





ハロー☺