那向醒案如来
こと、卓球選手に限っては、べつに中国の顔色を伺うじゃないけど、中国の顔色を伺うような非神社参拝をやってもいいと思うけどなー。
と、いうのはさ。
昔はほら、卓球ったらドイツだった印象なんよ、私は。
けど、調べてみたら1960年代頃から中国が頭角をあらわした、とあるんょね。世界大戦終わってからしばらくしてのことや。
…で、いまにいたる。圧倒的な中国に、日本が少し食い込む感じやんか?
卓球発祥はイギリスとあるけど、中国と日本が最近よく1位や2位やとるやん。
正直、卓球に関しては、中国と日本がやり返しているわけゃんか。
世界大戦の経緯を詳しく詳しく遡ろうとするとさ。
決して日本で祀られている人々とその場所、中国人が参拝するなと言っている神社、わりと中国人の言っているとおりにしても、そんなには先人を敬っていないことにも、世界大戦での死の上に我らの平和があることへの感謝をしないことにも、ならんと思うんだよね。少なくとも、中国と日本が1位2位とっているという意味からしたらさ。もうそれだけできちんとやり返せている気がするんよ。
そりゃね。中国と日本が入賞すらでけんとか、イギリスやアメリカ連中がどう〜もわざと手を抜いて負けているように思えてならないとか、そんなことならね、それぞれの愛国心で、それぞれのわかりやすく敬うべき過去の人たちを敬えばいいんゃと思うんよ。
けどたぶん、しっかり真面目に試合しよるやろ?
で、勝てょるんゃろ?
なら、べつに卓球選手に限っては、中国人と仲良くする向きでも構わんと思うんゃがなあ…。
ほかの種目では、またまったく違うこと云うとは思う。
けど、卓球、私は中学までやっていたけどさ。
卓球ほど素晴らしいルールの対戦スポーツは、そうそうほかには無いと思っとるんよ。
もうさ。ひとが死にようが無いじゃん、卓球って。
腰を低くして腕を何度もあげて、放熱と蓄熱のバランスもいいから、長く集中して試合できるゃろ?で、"反射神経"を競う。もっといえば読み合いだょな。ひとが死なないのに、世界一身体も脳ミソも素早く動く競技ゃと思っとるんよ。すげえ良いルールゃと。
そこでワンツーとれるならさ。
中国と日本でワンツーとれるなら。
私は中国がいやがるところには、まぁ、行かなくてもいいんゃなぃの?って思うけどな。
中国も大変ゃったんやろ?
イギリス中国ったらアヘン戦争だべ?
アヘンは国としては突っぱねたんに、ねじこまれたって聞く。
それでボロボロなってほうほうのていのタイミングで、日本に侵攻されたんゃろ?
西から東から勘弁してくれや!ってなもんゃんか。
んで、私は旧日本軍がいったいどげな人間関係とどげなお里の流れと、どげな意図とどげな進軍向きを辿ったか、なかなか入らん情報をちまちま集めていまほんとに少しずつ見抜いていきよる途中なんさ。
ぜーんぜん一丸となってなんかいなかったんやろなって思うとょ。特に中央ほど。
ゃから、誰を神として崇める、どこで神として崇める、現代人はもっと、強い芯を持ってそれらをやらんといかんて思っとるとばぃ。
神道でいえば、結構日本全国、どこでも通じる理屈はある。じゃあ、どこのだれにとっては、旧日本軍のどこのだれが神として崇めて妥当なのか。それは現代日本の過疎や過密とまた併せて決めて良いとおもうわけさ。なにも古臭い中央集権主義、そして旧日本軍が提示した場所に限らなくて良い。神道はそんなに日本の国土内に偏りをつくるような宗教ゃなかったはずたぃ。
そんなわけでな。
もしもまだ中国日本がワンツー続くんゃったら、ちょっとそのへん真面目に考えてみてやって思ぅと。
参拝すんな、って言ってねえんよ。
もっと厳密に、参拝する神を選べって言っとるんよ。
じゃ、んなこって。
こんばんは🙂
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