自分自身、痛みを伴いながら書くけども。



子どもはいつか親元を離れ、別の人と婚姻して末永く幸せに暮らす生き物。

年数でいえば、配偶者と一緒にいる時間のほうが、子どもと一緒にいる時間よりも長い…長くあるべき。

こう考えられるひとのほうが、子どもの幸せも同時に願っているのだし、つまり子どもの人生時間を搾取していないのだから、大人と呼べる。


たとえ子どもが親より先に死のうと、配偶者との絆は一生涯結ばれたまま…結んだまま。

それくらいの覚悟があるひとに婚姻してほしいし、税金の優遇はしてあげたい。



覚悟もなく…あったとしても覚悟というものを勝手に、何かを得るためには何かを失うというネガティブな意味でしか持たないような人たちにまでしかなれないのが、便利品を常識と思い違って思い上がって、他責な生き方ばかりしてしまう現代人だというのなら、そんな現代人は滅んでしまっていいかもしれない。



覚悟っていうのは、何かを生み出すためには何かを与えることを何かを頂戴することよりも多く覚えなくてはならないと悟ることゃと思う。

それすなわち、我の所有を考えるよりも君の所有を考えること。


それを思えば、我が子の違法行為をもみ消してやろうなんて偏愛よりも、我が子であっても公平性ある良い法律に基づいて違法行為は裁かれるべき、反省するべきという慈愛が、我が子の配偶者になる可能性のある他人に対する配慮となり、将来的には、きちんと我が子とその配偶者のために…我が子"二人"のためになる、近い今にも遠い明日にも通じる、お徳な行為ということになる。

そういえば、仏教って、慈悲じゃなくて慈愛を説いてなかったっけ??ああ、まあこれはどっちも同じっちゃ同じか。



今の人が結婚しなくなった…結婚できなくなったのは、オカネが足りないからとかなんかじゃなくて、ただ単に、便利品に埋もれて他責ばかり達者になって、偏愛が強くなって閉鎖的になったせいでしょう。簡単に言うと、得ばかり考え徳をとらず、人間としての深みや大きさが育たなくなったからですよ。



他責も、一応他者の悪事を反省させるためには必要なスキルです。しかし悪事でないことまで他責して自責はせずに便利に生きようとするから、人間が育たなくなった。



損して得とれ、じゃなくて、尊して徳とれ、でしょう。








おはようございます🌞