その論調を書いていらした チョキチョ記さん(その方のアメブロタイトルから、わたしが勝手にそうよんだ) につけたコメントの、セルフコピペです。


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こんばんは。

私は昔っから結婚をなんにも疑っていませんで。

最近ちよっとだけ疑い始めたくらいなので、チョキチョ記さんみたいな悲しい悩みに陥ったことがありません。

実際のところは法律を逆手に取って悪徳ベンゴシが結婚を壊しに来る罠もざらにありまして。

たぶんチョキチョ記さんのように自我や個体としての観点は動かなくていいので、そのまま動かないでくださいねーって、よく動く結婚肯定人間に罠を張るんですよ、悪徳ベンゴシは。

結婚は役所だけが守る制度じゃなくて、別に司法試験通っていない庶民同士でも、あのひとはもう別の人と結婚(相互専属恋愛契約)しているから恋愛対象としてははずそう、とか、あのひとは結婚していてあちこち乱れた動きをするわけじゃないから少し責任ある仕事をさせよう、とか。なにかしら、まわりにできることをやれたら、それも結婚という制度なんです。

法律とあなたという個体、で考えると、生物として非効率、なんて大胆な発想は出てきますけど。実際問題、じゃぁ父親バラバラな子供の実例ありますけど、いじめられて、その母親、縁切りされたとかね。ようするに世間体ってあなたと法律だけの範囲で考えるほど閉じてもないし、ひらたくいうと、甘くもないってことなんですよ。

私からみてあなたのその悲しい考えは、悪徳ベンゴシとタッグを組んで夫にと決めたはずの男からいいように搾取しようという、わるい心の準備、とみることもできます。

ただ、こんな悲しいことを考えてしまう、みたいに内省している部分は、夫としあわせになりたい、悪徳ベンゴシにも間男間女にも邪魔されず、ほんとうに仲睦まじくなりたい、ってそういう秘めた気持ちとみることもできるんですよね。

あなたのどの考えがどこに結びつくか。

あなたの幸運を祈ります。








結婚という(一夫一婦)制度は生き物の本能からいって間違っているのではないか…というひとは、結婚という制度の運営維持に奔走してくれるひとと、性欲に任せて他人のことも考えず法律なんか次々と破る人の、中間に位置していたいお年頃なんだなと思います。

どっちつかずなんですね。


アドバイスしますと…。

当事者としての結婚、周囲の人物としての結婚、答えをふたつ出さなきゃいけないのが結婚という制度です。

結婚という制度は正しいのだろうか、なんてひとつのこたえだけでは結婚という制度は成り立たないのです。

私はなぜ、二人以上の女性に愛していると思うのだろうか、と、若い頃、考えてみたことがありました。

そのとき出した答えは、ああ、もしも自分に娘ができたら、妻も愛しているし娘も愛しているそれは、字面だけでいえば二人以上の女性を愛しているということになるな、という客観的な理解です。


その後、娘が生まれました。
そのとき、私には娘が生まれることがわかっていましたので、妻に予言しました。
ただ、その数年後に三つ子ができたときは、双子だと思っていたので、予言はしていませんでしたが、予想は外れましたけどね。




子どもたちは、あるいは子どもたちの子どもたちは。いつか、私が愛おしいと思いながらも今世で夫婦になれなかった女性の子孫と、結婚するのかもしれません。

そう考えれば、今世で二人以上の女性に愛している、と思う思いも、そんなに乱れたものでもないわけです。


問題は、今世で、愛している、となんなら思いもしないで、法律も破り、性欲に任せて一夫多妻などする場合です。全体からみてわずかではあっても、あきらかに一夫一婦制よりも血が濃くなる危険を子孫に残すことになるんです。それって、生物の本能の話以前の、生物の存在意義や遺伝子的な話からいって、効率の悪いことなんですよねー。そういう場合、今世で二人以上の女性に愛している、らしき思いは、とても乱れたものと言えもするのです。他人の結婚成立確率も具体的に1人分下げちゃうわけですしね。



いま、あなたがかかえる悩みは、将来、そして子孫まで含めて考えて見れば、生物学的に…とかいう一見科学的で説得力ありげな観点からみてすら、また別の答えを出せる可能性があります。



あまり、悪徳に理解を示そうとするのは辞めることです。

世の中は、そんなに乱れたがっているわけではありません。






はい論破😁♪








こんばんは🙂