まぁこれは、女男平等なんてワードがいえる、最先端のオレだから身悶えするほどに気になる事案であって。


たぶんわからねーだろうなぁ、都民のみならず、多くの道府県民たちにも。






一応説明する。


東京はね。


若者たちが希望や夢をもって…、でもそれって平たく言うと他責志向をもって集まる場所として、あまりに極端なんだよ。


世界からも寄り集まってくるのに、道府県からも寄り集まってくるんだよ?

その集まる人達皆、割り算掛け算足し算引き算、小学三年生レベルの問題を解けないことを集まることで証明してしまっているんだよ。


国土は関東平野だけではないのに、都には国家予算なみの予算があるんだって??

道府県民がことごとく寄り集まっちゃえばそりゃそうなるよね。

つまり寄り集まってしまったひとたちは、親のカネでもって勝負した気になって、人口密度が高いからほとんど動かなくて良いという、ぬるま湯に浸っているだけなんだわ。



せめてなぁ。

都民にその認識があればなぁ。


偏りすぎた血液は止血の意味を持つように、偏りすぎた希望と夢は欲望と退廃の意味を持つ。



一応、こういう言い方してみようか?



道府県の意味で地方と言う感覚を、先ずは都民が改めない限り、ひまそらあかねは勝てない。



道府県民が自称でさ、地方って言ってしまうのは、日本人にありがちなへりくだりの精神だからまぁ仕方ない面はあるんよ。


でも、都民はその意味では言っちゃだめだ。

もし都民が親からの仕送りなしで全員やれてんだったら、言ってもいいよ?

でも、相当額が道府県民から都民に向けて仕送りされているだろ?胸に手を当てて考えてみな?っていうほど難しいことじゃないだろ?自覚してるだろ??



現状のオカネの動きに関して抗いたいなら、ひまそらあかね都知事はそれなりに有効だろうが、それよりも有効なのが、道府県の意味で"地方"と云わないことなんだよ。その特権意識、差別意識を辞めることだ。人と希望と夢とオカネが集まっているから特権意識、差別意識を持って良いっていう論理なら、日本より人数の多い国もあるわけだから、その外国に同じ論理をつかわれてしまうんだぜ???つまり、ひまそらあかねは勝てない、というカラクリになるんだ。




意識改革をすれば、外国も特権意識、差別意識を使えなくなる。つけいる隙を与えないで済むってわけ。





オレ、都知事選のいいあんばいの前に、地方ってことばを道府県の意味でつかうなって、自分とこのブログでもはてなさんのブログでも発言しているんだよね。そのことの重大さを、いったいどれだけのひとが認識できている???

たしかにこのブログは主には我が子どもたちに向けてのものだから、読み飛ばしていいとは言ったよ。でもそれは、特権意識や差別意識をどうぞそのまま維持乃至更新…略して維新してくださいって意味じゃないのはさすがに分かってもらわないと、ってこと。






がんばれ、都民。


応援はしているよ。

こっちとしても大きめの問題だからね。

中国もアメリカも東京も、ぜんぶ、敵にしか見えねーってのは。










こんばんは🙂