バイトあるある。


持ち場を一定時間で交代するローテーション。


かわりめには、前の担当のひとのミスが、いまの担当のひとのミスにみえがち。


その時間差を考慮せずに、いまの担当の手法にダメ出しすることがおきるのは日常茶飯事。



たった数分間の前後関係の取り違いによる、人が死にようがないはずの冤罪だが、職場全体をよくしていきたいなら無くしたい勘違いである。


職場をいくつも経験してきた私は、そういう小さな冤罪も数え切れないくらいに体験してきた。そのたび、男は黙って動くのみ…などと思いはしたが、その黙っての集大成が実子誘拐、嘘つき法廷であった。


子どもたちのためには、私はもう黙っているわけにはいかなくなった。


書かないからには書かないと7年沈黙したが、書くからには書くぞといまとんでもない文量で手当たり次第に書いている。


ただ、手当たり次第とはいうものの、自転車考だけは後続のひとたちに混乱をもたらさぬよう、順番をしっかり考えて書いた。それはほとんどが三十年の体験を三年で追体験して書いたものだから、順序よく書いてある。


ヘルメット考、ヘルメット自転車考などは、私個人の特徴を踏まえているので、もう順番は考えて書いていない。




いま、競輪にはガールズもある。
ピスト6もある。

昔の、ほんとうの人殺し押圧さえまかり通った競輪とは、だいぶ変わった。いろんな先人たちが線引きをして、安全化を図ってきた。

それでもまだ、自転車競技で稀に死者は出ている。


私の自転車考は、そうした、現代人なりの老婆心で、自転車競技が、落車ゼロ、死者ゼロになる夢を追いかけた文言でもある。三十年、たとえフリーハブですら足を止めないように気をつけてきたのは、自信をもって原初の自転車から言えることを言いたかったからである。

自転車考を、小手先の文言と思うなかれ。


自転 × 斜行、自転者行、自転者考、自転車(は)こう(乗れ)!

このくらいの意味はかさねて、自転車考ということばもつくり、使っている。



私の老婆心をウザいとして振り払って走り、怪我をしたいならしてもいい。

だが、死ぬなよ。

自転車は死んだら負けだ。














こんにちは🙂