それがいまは、身長176cm、体重80kgだ。
肉腱骨をキックボクシングと中国拳法のあいだくらいの動きで動かせる。声は、もしかしたらヒグマを撃退できるくらいデカいのが出せる。


大きくなった。強くなった。


もともと、そんなに栄養状態は悪くなかった。
子供の頃、3食は食べることができていた。

おかわりこそできなかったから馬歩をやりつづける身体がすぐにデカくなることはなかったが、ちゃんと脚腰からつくっていっていたので、将来きちんとデカくなれる自信はあった。


ブログ読んでいると、外国マフィアを恐れる声はたくさん聞く。


でもほんとうはボクらは、ヒグマとかを恐れるべきだろう?


ヒグマとかを恐れて、たとえ丸腰でそれなりに餌だと思われてもなんとか生き延びられるように、ヒグマに遭わないうちに強くなっておけば、自然と外国マフィアも恐れないで済む身体とか、考え方に行き着くはずだろう?


騙されていますよ、気づいてください、目を覚ましてください。


まるで自分は騙されていない、気づいていて、目が覚めているみたいな、なんどその手の文言をみただろう。



ヒグマを撃退できそうにないヒトは皆、ヒグマに騙されていますよ。




カラスのIQは高いみたいでね。

ヒトの死体が遺棄されていれば、カラスはついばみますよ。

いわば、ヒグマはカラスという指揮系統の頂点の所有する軍隊ということもできますでしょ?



死体遺棄が罪になるのは、ヒグマやカラスにヒトの肉の味を覚えさせてはならないから、ということもできます。



自殺は自分自身の死体遺棄だし。
いかに身勝手な行為かわかるでしょう?
だから自殺とか、無駄死にとかは卑怯なんですよ。
ヒトサイドから、勝手に獣サイドに裏切る意味になるんですから。



注意深く、ヒグマやカラスに勝てるか負けないかくらいに強くなっていかないと。


他人に勝つ前に、獣に勝てるようにならないと。
獣に勝てないのに、他人に勝てても半人前以下なんですよ。

そしてまた、獣に勝てるかどうかは無理に試す必要はない。勝とうと努力する過程を積み重ね、いつのまにか強くなり、もしものときに実際に負けなければ、自然と試されたときに勝てればそれでいい。



なぜ、外国マフィアが気になる?

自分も同じように、ヒトのなかの(ズレた)頂点に君臨したいからでしょう?

他人を盾にして、獣から身を守りたい、身を隠したい、だから獣に対抗する手段を本気で身につけるまえに、他人がどうだこうだ言うんでしょう?


カラオケで、音痴なやかましい声を出すのも、わりと獣に勝つための修行ですよ。


なにがその修行になるか、その目線でみれば他人に対する厳しさとか優しさとか、基準も得られそうなもんやないですか。




注射?改造遺伝子?

腐ったものを食べたら調子悪くなるのは誰もが経験していそうなものだけど。

とくにブレーキのないイガイガをうみだす改造遺伝子をわざわざ体内に入れて、調子よくなれるって、どうして思うの。

獣に勝ちたいなら、調子悪くしている場合じゃないんだよね。



ヒトがヒトと連帯してヒトならではのモノをつくって、獣に負けずに済みます。


じつは、大声出せる肚も脅威を感じさせる体格の良さも猟銃も、おなじものなんですねえ。


それら獣に勝つためのものを怖いと思ったら、獣に負けています。獣に騙されている状態です。



もちろん、獣に向けられているべきそれがヒトに向けられていたら逆に、怖いと思うべきですけどね。







たとえ銃を持てても、やはり声のデカさ、体格のデカさという生身の強さは目指していくべきなのは変わらない。ヒトとしてヒトを守れるヒトになろうとすべきなのは死ぬまで真理で真実だ。





ときどき、自分がしあわせでないと他人をしあわせになんかできないみたいな、調子の良いこと言っちゃうひとを見かけるけど、それは嘘で。

ヒトとしてヒトを守れるヒトになろうとしないひとは他人をしあわせにはできない、これが本当なんです。




男が、女より筋肉がつきやすいんなら、筋肉つける方に行くべきだし、行かせてあげるべきなんですが。

声もデカくしたいからには、ただ黙々と筋肉つけることだけやるようじゃ半人前ですね。

猟銃をつくるくらいは認めないといけませんし。



ヒトに銃口を向けた者は、ヒトによって殺されなければなりません。銃口はヒトに向けるために造られてはいないし、造られてはいけない。




声のデカさ、体格のデカさ、猟銃つくり。

この3つのために忙しくしていれば、人生は先ず間違いない。



その3つのために動いていない暇人は、ヒトの敵ってことになるんで、基本的に無視していいと思いますけどね。



注意すべきなのは、その3つのために動いていればいいのであり、その3つをまったく持たぬ者を、現状持っていないからというだけで無視してはいけない、ということ。


また、その3つのうち多く持つものにのみ注目して頼り切ったり、偏ることも間違い。誰もがその3つのうち一つでも持てるように頑張らなきゃいけないわけでね。



逆にいうと、その3つのうち一つでも持つ者は子供をつくる資格があるようなものだよ。その3つのために過渡的でも既に動いている者も、所帯を持とうとしていいし。



ヒトの世を、そのように考えれば良いのになと、思っていますよ。






ヒトより強くなろうとしても、獣に勝つための3つを目指すことになりきれない場合はあるでしょう。

つまりヒトに勝つというのは、弱いヒトに勝つこともヒトに勝ったことに数えられかねないから。



そしてまた、ヒトなんだけど無情なひとでなしになることで獣に見られないようにしなくてはなりませんよね。かといってわざと弱くなりましょうって話でもなくて。



要するに、大事な3つを怖がっちゃだめですってことですね。

大事な3つのうち一つでも持つ者をヒトの味方になってもらわなくちゃいけない。怖がって遠ざけてしまうのはヒトへの裏切りです。




川口市がどうとか、汚職がどうとか、マフィアがどうとか、書かなくてもこれだけの文字数書けるんですよ。


まあそりゃ問題は問題視していますけど。

けれども、自分自身が強くなろうとすること、ヒトを強くならせて味方になってもらおうとすること、その両方同事に進めながら問題視しないと、嘘になるでしょ。



健全な魂、健全な体に宿れかし。
健全な体、健全な魂に宿れかし。




ヒトとして嘘のないよう、死ぬまで生きていきましょう。



低収入でもその3つのうち一つでも持っている者と結婚しないのだとしたら、日本人女性はやはりヒトとして調子に乗りすぎているということですよ。もし一つでも持っていて、結婚しようとしないのだとしたら日本人男性も心が弱すぎってことです。




都会は魅力があるとかなんとか言ってあっち向いてホイして、その、ヒトとしての現実から逃げちゃだめですよ。




都会のすぐそばまで、なんなら都会の中までクマが蔓延るようじゃ、そしてその紛れ込んだクマをヒトひとりのチカラで撃退できないようじゃ、都会なんて実質田舎と同じですよ。








おはよようございます

🙂