もしも著作権者がプロデューサーでもあって、脚本家でもあって、演出家でもあって、役者を…俳優たちを完全に自分の意のままにコントロールしてというのが完全無欠の正論であったとしたら、それすなわち、著作権者が金庫番…経理すらも担って実写化に携わる各関係者皆それぞれに報酬を払わねばならなくなります。
果たして、一介の漫画家にそんなことは可能なのでしょうか。
原作通り、著作権者の意図した通り、原作ファンの期待を裏切らないほうが高い興行収入につながるのは事實だとは思います。ただ、ほんとうにそうするのであればやはり報酬を支払う義務が、雇用主たる著作権者に一手にかかることとなるでしょう。
そこを肩代わりするのが出版社とかテレビ局とか、スポンサーであるならば、旧来のファンの心情と、新規ファンの心情と、両方思考された改変は、必須条件になってくるのが、あたりまえの足し算引き算ではないでしょうか。
現行の法律も、これとこれは矛盾するじゃないか、というようなもの、たくさんあるとおもうんです。
そんななか、どうやってその激突を免れたり緩衝させたりするかって、憲法に立ち戻るなどして、優先させるべき権利や、考えるべき配分を答えとして出そうというのが、もっともスジの通った話になるはずです。
著作権者の権利もとっても大事だし、尊重したほうが結果もついてきやすいのはわかりやすい答えでしょうけれど、ある程度改変してさらなる新規ファンを獲得できた作品群を、私達はバブル期には目撃したのではないでしょうか。
私は原作者(著作権者)の死によって怖がって萎縮しては今後面白いものがつくれなくなる、というテレビ局関係者のことばを、雇用者としての著作権者を肩代わりするための意味では、賛同できます。
モノゴトは一面から、一方向からだけみてはならぬ場合は多いはずです。
こんばんは🙂
わたしも、
そのへん考えながら、
割合をさぐりさぐり、
発言していますよ?