正直、読み返すなかで細々とした気づいた点は幾らも出てきたけれど、かなり細かく、それぞれの人間性にまで言及するような話にもなるので、概要に関してでいえば触れるのは止しておく。また報告書本文を読む際にその同文を思いつくようであれば綴っていく所存。

報告書の概要、気づいた点2つ目、書き出しとしては3つ目。


本件ドラマの制作期間は初回放送まで約6か月程度であったが、結果から見れば、本件ドラマを制作する上では、この期間では足りていなかった可能性がある。



結果、をどこにフォーカスしているかが国語の問題になっている。この報告書では原作者死亡の原因究明は目的としていない旨まず宣言してあったが、結果、を原作者死亡とフォーカスするのであればこの文はその宣言に反している。

結果をあらゆる情報を含めた視聴者の印象とみるなら、特に反しはしない。

結果をドラマ視聴率とみるなら、私から見ると6か月は妥当であったと思える。原作を読んでいない視聴者にはわりと人気あった印象だし。

そして、もしかしたら6か月は逆に長かったかもしれないという見方もある。もっと強引に押し切って脚本家にネットでイヤミを言わせないくらいテレビ局が利己主義を徹し、原作者とある著作権者に対するそれをテレビ局として被った罪としておけば、生々しいネットでのやりとりが好奇の目を引き著作権者の死にまで追いやる運びにはならなかったかもしれない。ただ、著作権者の意図と権利を極力尊重しようとしたテレビ局のその態度は非難されうべきものではないし、今後の対策として対話や面談や意図の明文化、そして契約書締結の方向性のために伸ばした期間には、希望をもって期待したい気持ちには同意というか、並意したい。


そして挿む部分だが、扱ったテーマがどれだけ遠大だったか、そしてそれがゆえに、どれだけ短命な社会問題であったかについても私はヨミから触れる。

もうだいぶ、著作者がかなりの背伸びをして重たいテーマを複数取り扱ったなというヨミが私にあるのだが、これは報告書を読み終えてから読めるものなら漫画を読んで私は確認することになるだろう。


扱う社会問題の大きさと寿命。

これによって制作期間の長短は協議され決定されてもいいと思う。

テレビ局の腕の見せ所ではなかろうか。

利権構造の尊重のために、ネガティブ要素に目を向けさせまいとして、無理やり原作から削除削除をするくらいであればよほど同要素を拝借してもエピソードはまったく異なるオリジナル作品を目指した方が良いし、原作者がほんとうに負い切れる重みなのかどうかをテレビ局として把握してその重みを軽くしたいのであればどう削除してどう削除せずに関係し、肩代わりするのか、護るのか、その意図の自覚と明文化などが必要だろう。

スポンサーに配慮するときに、ポジティブかネガティブかくらいの雑な判断がときに逆の印象を視聴者にあたえるリアルリスクは存在している。

昔から CMクリエイターたちは印象を強くするために奇抜さをどこか基本形にしているきらいすらあり、冷静に言って、そこに逆に商品が売れなくなるリスクは潜んでいると思う。

社会問題は刻々と変化し得るものでもあり、ある程度テレビ局としても先見の明をもって、ネガティブものちの時代にうまく溶け込んだあとはポジティブになる可能性をみて、スポンサーを説得するくらいの意気込み、情熱があっても良いと思う。





書き出し3つ目は私にしては短文で済んだ(安堵)。

では、また時間をおいてから、報告書本文をみていきたい。

概要の時点で各近い関係者それぞれの忸怩たるおもいは散見された。


これで報告書の概要については終わる。






こんばんは🙂

おやすみなさい。