日本テレビホームページのプレス向けとして出されてあるようです。リンクは貼りません。私はギリギリ、プレスではないつもりでいますので。


ただ、ほぼほぼプレスですよね。斯くありきとプレッシャーかけてんですから。むしろ名のある報道関係の法人よりよほどプレッシャーをかけている気もしますから、プレス中のプレスなのかもしれません。




自転車乗りってそんなに偉いの?

───自転車乗りは道交法において歩行者のつぎに偉いよ。偉い存在として扱わねば重大事故が起きてしまうよ。



私は私を偉い人として扱うことがしばしばあるのは、低空飛行区からなんども自転車や徒歩で逃亡を図り、ついには脱出したからだよ。これが何を意味するって、私は自身を殺そうとする自分を見破り、その殺意よりも早く他者を信じてきたということなんだ。

自転車乗りは偉い…偉いと扱うべき存在だ。

もしもそのように扱わなかったら、かんたんに轢き殺されてしまう走行ラインを行かねばならない。しかも右側が重たい車体。つねに自転車そのものからもうける裏切りを読んで包括して逆らって、すぐ右を走る🚙🚚自動車に轢き殺されないようにしつづけねばならない。他者に背中を預け続けるような行為。自分の殺意よりも早く、他者の苛立ちより早く、自他の善意を信じていないと不可能な行為だ。

それを諦めずに何度でも改良を加えながら何回かの事故に…轢き逃げ事故にすらあいながら、私は低空飛行区を脱出し、ほんらいなら他殺自殺をやらかしてもおかしくない実子誘拐すら、他殺自殺をしないという意味では耐えた。そうして低空飛行区内によくわきでる、低空飛行区外にもたまにわきでる、希死念慮を乗り越えた。

だから私はときに、私を偉い人として扱う。

希死念慮を自力で、自他の善意を信じることで乗り越えたということを偉いと好評価しないなら、命とはいったいなんなのだ。殺人をしてはいけないこと、自殺がいたましいということ、それらの善意は向きを違うではないか。



切り取りが大好きな人たちは、偉そうにしている態度ひとつとって、クソ人間と呼ぶことすらするだろう。呼ばなくても軽蔑するだろう。私はそんなことは意に介さない。希死念慮を自力で、自他の善意を信じることで乗り越えたひとは、そのぶん偉い。私は勿論、他人がそうして生きている場合、その自己評価を持っているひとに出くわした場合、クソ人間と呼ばないし軽蔑もしない。同志を讃えるように、尊敬もするだろう。




自殺(他殺含む)をした人間は、偉くない。

ただ、いたたまれなくなるほどの追い込まれをするリスクを、芸術という、そもそも元手のない行為は負いがちであること/唐突に希死念慮におおわれて衝動がどうしようもなくなってしまうこと/そういった危険をどうしたらもっと皆で認識し、共有し、回避できるのか───それらはどうしても、自殺者の人間性の是非とは関係なく、論じられねばならない。



私達の生は、つねに死に挟み撃ちにされている。

ひとはいつか死ぬ。

できるだけ寿命を皆がまっとうできるよう、無関係なように思えても関係のあることを予感しながら、関わらねばならない * 読まねばならない * 論じ合わなければならない。






報告書は1週間の疲れを今夜なりに癒やしてから、ゆっくり読むとします。


現時点でざっとそのしらせの記事を読んで思ったこととして。

テレビ制作者たちのもつ時間の流れと、そもそもの著作権者のもつそれとは、あまりにかけはなれておることを、誰もが先ず危険視せねばならんということ。

そして、芸術作品というものはたとえ何ヶ月何年、もっと長い期間を注がれてつくられたものであっても、より高い芸術性のために没にすることに恐れをもってはいけないということ、それを迷惑だから突っ走るということをしては最早芸術ではなくなるため、その場合は、なにかしらの評価のし直し、契約書の見直しをせねばならなくなるということなどを言っておく。



さて、閉店間際なもので。私はスーパーに買い物に行かせてもらいますよ…。









こんばんは🙂



水本樹人
怪獣8号
殺せんせー
北畠顕家

ほか、より。