はてなさんとこで、にゅらさんという方が便利のデメリットについて議論するのにノッてくださいました。

精神的に不可逆的な減速をしてしまうという旨で綴られた(と私は読んだ)にゅらさんのコメントに対して、私がつけたコメントをセルフコピペします。はてなさんが承認しないならアゲられない文ですし。






ノッてくださり感謝です。

私は工学畑から芸能、労働、スポーツに流浪する者です。 

私は電磁力の作用法則の関連から不便を大変信頼しています。便利はそれ単体ではメリットだらけでも、集積すると誤作動や狂気のもとであると確信しています。人体内が電気信号でなく、まったくの化学のみで構成されていたならこんな事は言いませんが、人体内に電気信号は奔りまくっています。いわば電気機械とは人体の一部を取り出して目的ごとに最適化させた、生物ととらえる観点が必要だと思います(アニメ『AKIRA』がその比喩であるととらえるとわかり易いです)。便利とは集積するほどに、生物を非生物、非生物を生物として扱う所業である、と。

なので、私は都市部にひとが集中する場合、共産化してなるべく自由意志が錯綜しないように政をやるべきと存じます。長くて精確な自由がほしければ人体含む電気回路を集積させすぎないこと。便利を避ける感性も養うことだと思っています。





田舎で共産主義をやる必要はないけど、都市部ほど共産主義をやるべきで、っていうか私が言うまでもなくそうなっている部分もわりと多いでしょう?


田舎では標識がする仕事を、都会ではひとがやっている…なんて風刺漫画を最近読みましたよ。

まったくそこにあらわれているんですよ。都会でひとが集まりすぎると、仕事といえないようなことでも仕事として評価せざるを得なくなる。それはもはや共産主義下で、どんなに頑張っても頑張らなくても給料が同じだからいい塩梅でやる、みたいなことと同質なんですよ。



個人の自由が欲しければ、"便利"に洗脳というか、懊悩している場合じゃないでしょ。

不便が目の前にあらわれたら逃げることなく立ち向かったり、こなしたりすればいいんですよ。どうせ昔々よりは何もかも便利なんですから。




私が東京憎しみたいなことをちょくちょく書くのは、私からみて東京こそは共産主義国だからです。

なにが進歩でなにが退化か、どうでもよくなっているでしょ?東京の人達にとっちゃ。














こんばんは🙂