今回の最上もがサんの、育児疲れのママたちへのメッセージが大変共感というか、理解できる話で。私からも同じような、あんまり理想通りにならないからって自己否定することないよ、ということを育児するひとたちに言いたい気持ちでしばらく居たんですが。


私が競技用自転車に関する話でいえば、あんまり理想通りにならないからって強い自己否定はしていませんで。かといってこのままでいいと思っておらず。地味なようで少しずつ改善をつなげて、前よりはさらに確度の高い再現性をもって、より強く速くなれるようにとやってきたしやっているのであります。しかし、これはせいぜいが同じように自転車頑張るひとたちへのメッセージにはなっても、育児するひとたちへのメッセージとしてはやはり届かんのだろうかなと、忸怩たるおもいです。



昔々の男は死んでなんぼみたいなところがありました。

戦して、殺し殺されして、生き残って殺した数の多い人、より統領である者を殺した人が褒められました。

今は男が褒められる基準がまったくもってその頃とは異なります。

今は何なら男が褒められる基準は多岐にわたっております。

とある女性が褒める男の行動が別の女性からはバカにされることも珍しくなく、男性でもそうです。もっと厄介なことに、時が立つと、それがたったの2年か3年でも、前は褒められたことが今はバカにされる、なんてこともあるわけです。

それだけいまは、男の価値が値踏みされ続ける時代です。



夫が死んだにも関わらず共に死ぬべき妻が未だ亡くなっていない、という意味で、未亡人、という3文字は女性をさすことばでした。


しかしいま、歴史的には戦で死すべき男が未だ死んでいない、という意味で、男性に対して未亡人ということばをつかうべき段にあるのかもしれません。


戦争がないということは何を意味するのか。


これを真面目に考えているひとをなかなか見かけません。

昔は戦争でいろんな難しい判断基準の策定を、すべてご破産ないし精算できたんですよ。でもそれができないということは…。


たとえば過去のことをグチグチ言うななんて言うな!!───なんて必要があったり

たとえば未来のことは誰にもわからないなんて言うな!!───なんて必要があったり

──するわけです。


過去のことを細かく、できるだけ無感情に掘り起こしながら、未来へつなぐ今を探して、嘘のない日々を送りながら未来のことをできるだけ情緒たっぷりに思い描かなくては、あの世に行けばそれでオッケーみたいな時間を、意義あるものにできません。


男性は人気映画でも問われましたように、君たちはどう生きるか、をすごく問われています。戦って殺せばいいんでしょ?殺せなければ死ねばいいんでしょ?は回答として許されていません。

ということはじつは女性も、昔のように、男性なんてほめておだてて戦場に向かわせ、生きるか死ぬか殺すか殺されるかの大博打で自分たちの生活をよくしてくれそうな、勝てそうなひとがいいに決まっている、なんてそういう安直な考え方は変えねばならんわけです。だっていまや男は未亡人なんですから。


じゃあけなして突き離して勝手にさせて、約束も守らず違法行為もかさねて、すべての罪を男性にかぶせてあわよくば自殺してもらおうなんて、そんなことをするんでしょうか。現状、一部、とはいえ意外におおくの女性たちがそれをやっています。男性の平均寿命が女性にならぶまでは、それをやっているという自覚がわずかなりとも必要ですよね。



昔の男は…たとえば私の曽祖父はまさに、戦争で夫を亡くした女性未亡人を家制度的責任をとって娶っております。これを女男平等思想でいうならば…


女性は男性未亡人をなんらかの責任をとって配偶者にせねばならない。


と、こうなります。

なんらかの責任ってのが難しいですよね。

家制度は一応失くなったことになっておる現代です。増して昔は男尊女卑で、責任をとることから遠ざけさせられていた女性たちです。いったいなんの名目で、男性未亡人を配偶者にすることが責任をとることになるのでしょうね。

また、現実的にいって男性の世話なんてやってらんないよ!というのは、昔は戦争で略奪をしたからなんとかやっていられたエネルギー確保が、今は一応略奪を許されていないためにできなくなっている、という部分がありますね。

産業革命後に食糧生産も大量生産を可能としましたが、それをあてにした格差社会向きは、せっかくの大量生産できた食糧も食いつぶしてしまうような穀潰しでありますが、その自覚は金持ち連中になかなか見受けられませんよね。まーだ格差拡大したがっているかのようにしか見えない。


このまま男性未亡人はバカにされ無視され、ときに犯罪者になってから「あら?生きてたの?」なんて存在を思い出され、一瞬思い出されたとしたら「悪いことしたんなら死んでよ」なんて扱いですぐまたバカにされ無視されるべきなのでしょうか?


つまりまぁ、男が鬱になる背景にはこういったことがあると、少し女性連中に理解されるだけでもなにかかわっていくのではないでしょうか。

それともその逼迫して切迫した現実問題すらも、格差を拡大したがる妄想家たちによって無視されバカにされ、押し流されてしまうのでしょうか。



昔々は男性をほめておだてて戦わせて生きるか死ぬか殺すか殺されるかの大博打をさせていればよかった。

しかし現代は、

男性に真面目に向き合い戦わせずに生きるか死ぬか殺すか殺されるかの大博打をさせないようにしなくては、空爆だ似非医療だなんだで女性も大量殺戮される世の中になったといえます。


つまりいまは、


男女関係なく、戦争と戦争しなければならなくなったのです。


昔は男に戦争させて、女性は"乗り換え"の精神的苦痛に耐えていればよかった。なんなら"乗り換え"は、一度の人生で二度以上美味しい愉しい人生だったかもしれません。

しかし、いまは男に戦争させると女も殺される時代です。女が乗り換えるということは男も乗り換えるというちょっと女にとっては面倒の多い人生になったんです。

すべての女性はこの面倒を引き受けなくてはなりません。でないと金持ち連中から格差ほしさに殺される、間引きされると思うくらいで間違いない。


🙂。


その種の面倒はつまり、"乗り換え"を安易にはしないことで防げます。

その種の面倒はつまり、男をけしかけないことで軽減できます。

男に期待せず!かといって男を見下さず!


これが現代女性の初期状態で有るべきなのではないでしょうか。






期待も見下しも、けしかけですからね。

貞淑にしてて、できたことだけ褒めてりゃいいと考えれば、わりと昔より簡単になったのでは?




結局、貞操観念のきちんとしたひとが実質はラクに生きられるっていうのは、どんな時代でも一貫している真理ですネ。







おはようございます。