一眼カメラでは感情が被写体のつたわりにくい  というはたきを話をしました。



一眼レフ削除削除カメラでは感情がひだりひだり被写体のつたわりにくい という話をしました。



一眼カメラでは被写体の感情がつたわりにくいという話をしました。



↑この一文をつくるのに、上記三行をミス無くつくる手間くらいはかかっています…。






我々は画面のむこうになにがあるかをすべて知ることはできないと思っています。実際、画面から得られる情報それでは被写体の苦労、入力したひとの苦労、そのほかはなかなか察せられません。



しかしその苦労を察しようと周辺情報を追いかけると、いつのまにか被写体の苦労を増やす側になっちゃっている場合がありますよね。



その証拠の一部かなと、わたしは悦覧注意シリーズの書き方は固有名詞や極少数間にて秘匿すべき感情の吐露は控えるように変えましたが、変える前の文は削除指示などないならそのままにしておこうかと思っています。あれば、さしあたっては下書き状態にして、すぐ表示されないようにしますよ。





周辺情報があるから当人を誤解することもあれば、ないから先入観でものを言ってしまう場合もある。


なんにせ不特定多数に情報を出すというのは、よほどその情報量からなんからかんから確率計算してがんばらないと完全なコントロールはつくづく難しいでしょう。




わたしとしてもすべてがウィンウィンで改善されていくように願っていますけど、オカネのために、で切り離されたひとたちがつのらせた、それでオカネのもうかったひとたちにとっては負の感情、それでオカネを損したひとたちにとっては正の感情は、わたしひとりでどーにかできるものでもないですね。がんばりますけどさ。










一眼カメラでは被写体の感情がつたわりにくいという話をしました。



話を戻します。






じつは、我々は液晶の向こうに、人間の生活のあることを想像できなくてはなりません。


たとえば乗り物にも乗らずに、百メートル5秒でなくてははたせない移動が、まさか自分のためになされるべきなんて想像をしてはなりませんし、丁寧な仕事をするためには繁忙な動きのあとは、ゆっくりとした動きに移行できるための呼吸の変更の間合いなどが必要になってきます。それを、だらけている、とまぁみることができちゃいますけどね、傍目には。



人間の生活としても、山林でできるだけすべて自作する自給自足をがんばっている原発所長の息子もいれば、バリバリに他力本願的にあらゆる最新のものにあやかっている都会の娘もいるわけでしょう。



それぞれにあった想像をしてあげることで、それぞれのペースを尊重してあげることができます。できるだけ尊重して、尊重しあって、すごいぶつかり方をするようなカチ合いのないようにしたいものですよね。




一眼カメラでは被写体の感情がつたわりにくいという話をしました。


話を戻します。




一眼カメラで撮った画像の向こう側でも、なんとかひとと目を合わせるようにして、被写体の感情をしっかり読み取ることはできないものでしょうか。



残念ながらそれはとても難しいように思います。



画面でみる情報は、わたしひとりがみる情報のようでいて、かなり多数の他人もみる情報なんですよ。


ふつう現実のなんらかの出来事には、目撃者というのはそんなに多くないのがつねで、そんなにも多い目撃者…視聴者を前提とした表現は、それそのものがすでに自閉向きな小さな小さな表現になっている懸念があります。



今よりも伝わりやすさを倍増させてほしい、倍増させたいと願う私が、その超激安廉価版とでもいうべき方法論を考えること自体、かなりの無理があります。とても難しいと思います。



しかしまぁ、ひとつだけなんとか、上記のように意識が吹っ飛びながらもくらいついて、掴みました。より被写体の感情がしっかりつたわる方法論。




あと一回だけ話を戻します。



一眼カメラでは被写体の感情がつたわりにくいという話をしました。



しかしその不利を覆すべく、スタジオには何台ものカメラがあり、何人ものカメラマンがいて、何眼もの視野の可能性をつねに担保しています。あとはディレクターの感性で抜き取っていくんですよね。



そこで、ですよ。



そこで我々?視聴者がやるべきことは、右から抜いたであろう画像に関しては左目でみるようにし、左から抜いたであろう画像に関しては右目でみるようにしたらいいんですよ。


そうすることで、擬似的に、ここまでの数記事で言ってきた左右二眼カメラ電子出力の画像をみるがごとき印象の受け取り方ができるかと思います。



向き合っているのに、相手の右目を自分の右目、相手の左目を自分の左目でみようとすると、視線がクロスしますよね。☓です。その視線のクロスでは、アスタリスクを寝かしたような、 こういう感じの、見えない壁が生成されることでしょう。



積極的に使う目をスイッチして、できるだけワイプに両目の自我を持っていかれないようにすべきじゃないでしょうか。


右から抜いた画像は左目で、左から抜いた画像は右目でみる。みようとする。




では、正面から抜いた画像は?



薄目で見てはどうですか?





これで、自身の人権も、被写体の人権も有ると覚えやすくなるのではないでしょうか。










───はあ。




イッキに畳み掛けました。




日本全体でね。何万、何千万って世帯ごとにいちいち、 ←この線引きをし続けていりゃ、そりゃすべてが閉じた傾向、分断傾向、少子高齢化傾向にもなりますよ。





やあ。ほんと、畳み掛けました。




テレビをみる趣味のある皆さん、上記をお試しになってはいかがでしょうか。



大変だけど、きっとお互いに生きている実感が増して、面白いと思いますよ。







そういう目の使い方なら、同じテーブルで暴力ふるいかけるやつがいてもすぐ止めに入ることができると思いますよ。










こんばんは。