こんばんは。



たぶん、ひとり推手をやったのが良かったんゃろ。


その後でエクササイズグッズで筋膜リリースをやって、んで、部屋の要らないものが目についてせっせせっせと捨て始めたとょ。



実子誘拐されて、閑散とした部屋じゃ恐かったんょ。自殺するんゃないかと思って。


実際スルメと一緒に舌を噛み噛みして小豆よりちと大きい血豆をつくるくらい、ときに自身に非情なヤツゃからな、私は。実子誘拐されるまで努力しまくっていたから、その努力の果てに上の前歯をなくしていたから助かったものの、あったら舌先を噛み切っててもおかしくないんだって、この哀しさ、虚しさ。



けど、スピンバイクにのるごなって、丈夫なコンクリ壁に、ひとり推手できるようになって。まだしっかり開脚できるほどのスペースはつくれていないけど、筋膜リリースくらいはできるごとなったんょね。



そゃけん、なんとか少しだけ片付けられる気がしてきたみたいゃね。



ひとり推手するスペースは適宜、掃除機かけたいし。


となると、万年床は一応卒業で、畳んでカバーかけるくらいはできるし。


最近じゃ、子どもたち用の物ももう、私が使ったり、汚ければ捨てたりしはじめたんだ。私はさすがに不衛生で健康に害を及ぼしそうなものは、どんなに思い出が詰まっていそうでも捨てるからね。だから何とかゴミ屋敷にはしないし。




当然、今の私で最上もがに愛しているとか言って何かを与えたり何かを貰ったりできる資格があるなんて思っていないんだ。こないだの熊本行きでは勢い、買ってすぐだから不潔も何もないから贈れたけども。




それでも、誰かのためにって、基準がないと私もさすがにつらくてね。



女の人は実子誘拐してでも子供のためにってのをやれてしまうゃんか?


それを助ける女も男も大勢いる…キチガイな世の中だとは思っているけど。



男の人は、力があって、あれやこれやと自力でできてしまうがゆえに、基準をあちこちにつくれそうにおもわれたり期待されたりするゃんか。



実子誘拐もそうだもんね。


私を愛してくれてありがとう/でももうあなたは不便だから要らない/どーぞ今度は別の女性でも愛してください、みたいなもんだもんね。



けどこっちだって人間でさ。


しかも、土地は無い刀は無い袴も履けない、そんな時代の男性なんだよ。


そういう時代の男性にも関わらず、はい子供ができたらもう不便だから要りませんあっち行ってください、て、それ、こっちが不便だし、便利不便以前に存在意義まで破壊されかねないからね。



オレが土地も刀も持っていたら、こんなに文句垂れる必要もないのさ。


男は力があってあれやこれや自力でできるから、土地も刀も活用して、獣に勝ってください、土地を活かしてくださいって、期待されたとおりに動けばいいのさね。そしたら、そこを尊敬できるゃんか、女性や子供も。



けど、活用できるものはすべて女子供や不誠実な悪政に盗られてしまうようじゃあなぁ。




力はこっそり鍛えてつけてきたよ、そりゃ、たとえばオレはね。


けど、力だけあってもね…。



基準がないと、誰のためにっていう基準がないとどうにもならん。



そして私は、今のところだけどさ、最上もがは私が基準にするに値する、と読んだんだ。



だから今夜もここに綴ります。



愛しとる、〇〇〇。











小指を使ってバンク走行する痛みへの怖さを思えば、まさか〇〇〇がこの部屋に来てくれるかもしれないなんて思いは、部屋が閑散としたら私は哀しくて虚しくて自殺してしまうかもしれないという怖れには勝てるわけさ。



だから、少し片付けられた。



もっとスピンバイクとひとり推手やって、また筋トレクラブにも行けるようになるころには、さらに掃除できるようになってんゃなぃかな。



だいたい、職場では、なんゃかんゃと汚いところを見つけて掃除できるんゃぞ、私は…。




そもそもは…できるんや、掃除くらい…。




変な…違法な干渉さえ受けなければな…。










おやすみ🫥。



那向醒案如来