おはよっす。



平静を装い違法行為やる、のは、


平静を装わず違法行為やれない、より、



否定すべき感情論の実践であります。



違法行為のために平静を装うのは、装っているだけで中身は悪感情が渦巻いているわけで、全然、その悪感情をバレないようにする悪感情を振りかざしていますよね。平静そうだがそれは平静装。




あんたは、頭が良いのかもしれない。


けど、


頭が良いのはあんただけじゃないのさ。




たとえば大通りに出ようというクルマの運転手。


ここは時速 40km/hの道で、今右左確認して左のあの位置に自動車がみえて、これはその自動車の運転手が法律を守っていれば、私は充分合流して、その運転手もブレーキを踏まないで済むはずの距離だよな、と瞬時にそれくらいの記憶の再生と計算をして、大通りに出かける場合があるわけです。


そういうのって、違法速度出している運転手からみたら、なんだオレの存在が見えていないのか!?間に合うわけねえだろオレの後ろから合流しやがれ!と思うかもしれませんけど、オメーこそ速度標識や合流しようというクルマの可能性や、合流しようという運転手の計算力が見えていないだろうが、ってことなんです。




 まぁ、そんなわけで。


 感情論の否定は、感情の正当性を検討することなしに頭ごなしにやらないようにしましょうねー。


 お互いの計算力なり読みなりが、ウィンウィンで合致するために、法律ってあると思うからさ。


 感情否定するために法律があるわけじゃねえや。

 感情を等分するために法律があるんだわ。












那向那向