ちゃす。



聖書は風と共にさらり、と読んだことがあります。


意識的には、エヴァンゲリオンだとかブロガーだとか、間接的に伝わってくることが耳目に入ります。



ちなみにこの文書を打ち込むのに、とても手がすべります。私の意に反してこの記事を書かせまいとする私を先程から認めています。現に一度記事を消しました。


たまに、ネットで聖書についてグググと読みます。


そのたまにが、嫉妬というキーワードで起きました。




ヤハウェが妬みという意味とはね。


聞いたことはあったはずですが、ピンと来なくて覚えられなかったです。






神々は嫉妬する。



なんか、歴史は繰り返す、に似た感じの言葉ですね。





人間は嫉妬なんかしないんだよとか、神の嫉妬と人間の嫉妬は違うんだよとか、これまたピンと来ません。





私が一応嫉妬を回避したのは、かなり小さな子供の頃、ヴァイオリンやピアノの神童をテレビの『題名のない音楽会』で観て、イライラモヤモヤした気持ちを、では私もなにかがんばれば良いと、別の向きに転換したことが思い出されます。



以後、嫉妬に関して、特に嫉妬のもつ弊害に関してあまりピンとこない私です。






あんまり嫉妬しないから、少しは嫉妬したほうがいいかもなと思って一つ前の記事を書きました。


嫉妬が弊害になりがちなひとは、どうぞ嫉妬しないようにしてください。




唯一神の名が妬みなら、嫉妬の否定は神の否定ではないんでしょうか。



嫉妬しているひとから嫉妬するなと言われるとしたら、それはなかなかどうして、まともな発言にも思えます。



神を信じているひとから、神を信じるなと言われたとしたら────これはまともな感じはしません。たぶん神の汎用性の高さゆえでしょう。




嫉妬は部分的な感情ですね。


それも過ぎたるは及ばざるが如しの範疇で、程よい嫉妬は良くて、自他誰かの身を焼き尽くすような嫉妬は良くないっつーことでしょう。







嫉妬に関しては、そろそろ言葉が尽きました。






どーぞ私が人並みになれるぶんには、嫉妬させてくださいな。



また、あなたが人並みになれるぶんには嫉妬してくださいな。








那向