おはよーです。




 芋澤さんのだったとおもう。痛み止めを大量服用しているっていう記事から、フィギュアスケートを熱くるしい眼差しでみるのを完全に辞めた私です。

 好きな方なんですよ。ラップやヒップホップダンスのような録音再生との細かい音ハメではなく、演技や技術で音符との距離を堂々とってクラシカルな表現をされるのは。でも彼らスケーターの負担を思って、意図的に離れました。



 私は今回の彼の、離婚の情報に際して、皆さんがフィギュアスケーターに対してどういう距離で見守っておられたのかを、球技練習の球拾いのようにブログを読み拾いしています。そのなかで、彼が個人事務所でやっていることを知りました。大手事務所に移ったのかと思い込んでいました。



 個人事務所ならば、アスリートならば芸能事務所でないという認識には、私はなりません。あれだけテレビにも CMにも出て、ギャランティーが全くないとは思えませんし、フィギュアスケートが芸術点を無視しない以上、芸能界の一部であると私は視ますよ。




 私が若い頃に所属して退所したのは芸術家紹介派遣事務所であり、私は言ってみればあの時期、個人事業主の芸術家だったのです。貧乏役者貧乏役者って言い方していましたけども。

 大したオカネが入ってこなかったり、大きな事務所に大金を入れてやれなかったりすると、それは芸能人ではないみたいな認識っていうのは、実質的に芸能界を下品で危なくて暴力に満ちた昔ながらの世界と視る観点だと思います。たとえ一部その通りだとしても、それがすべてかというとそうではない。よほど芸術点を無視した世界のほうが暴力を肯定している現場だってあちこちにありますよ。


 権利の尊重は一般とか非一般とか有名とか無名とか関係なく誰であれお互いにやらないと、いつまで経ってもどこであっても下品で危なくて暴力に満ちた現場の出現は絶えることがありません。



 中川翔子さんが晴れて 翔子 さんになれたことをおよろこび申し上げます。


 ほら、こんな小さなことでも芸能界なんですよ。





 永六輔さんは国民皆芸人になればいいのにと言いましたが、私はもう既に国民皆芸能人だろ?と言いたいです。

 それだけテレビやなんや観て、それだけ第一次産業から離れて生きていて、どうして現状、国民総芸能人説を否定できましょう。






 地政学や歴史など、心地よく生きられる流れや勢いや習慣ってあるでしょうけど、AIの法整備が洗練されていかない限りは、それらから解き放たれた理想論のような人間性を、我らはもとめ、自負していかねばならんと思いますよ。




 オカネがないなら時間を差し出せばいい。

 今欲しいのはオカネじゃないんだ、今欲しいのは時間じゃないんだ、貰う人はワガママ言うこともあるでしょう。

 いったん貰っといて、ほかのひとにあげたっていいんですよ。差し出したひとを 分かってないな と、いちいち悪く言う暇があるんだったら、ね。





 わたし長らく福岡県民ですけど、知らない、喋れない博多弁なんかいくらでもありますよw





 

 何が言いたいって、意識の有無問わぬ事務所の勢力戦争への加担より、婚姻を社会の原義と見做す底力を望んでいるんですの、あなたに。













那向醒案如来