こんにちは。
『うふふのブログ』の方と自転車のバーについて話し合っています。
道交法の大前提である安全で円滑を忘れて枝葉にのみ注目してはならない、という話は何度もしてきたかと思っています。
どんな方にも見受けられることですが、法律について語るとき、国民に向けて、ゲームで言う対象全員魔法のように発せられるのが法律だという感覚で、大前提としてヒトが生き物であること、体力は無限ではない(誰も皆いつだかは死ぬ)ことを忘れた話をされているきらいがあります。
法律はゲームの対象全員魔法ではありません。個々人でいえば自然権の相互尊重に始まり、道交法でいえば安全で円滑に終始していなくてはなりません。固定された文字としてだけでなく行間をも読み、優先順位を考慮し何度でも立ち還り、動きのあるものとしてとらえなくてはなりません。
自転車走行でいえば左右非対称性の是正を継続的に可能とする体躯や物理的工夫が大前提です。それが安全で円滑を可能とするための行間です。固定された法律文としては何処にも書かれてはいないでしょう?
そこに優越感があるのは認めますが、対象全員魔法として1次元的に法律を語るのは、緊急避難や正当防衛ほかが後回しにされ見えにくくなります。冤罪の温床にすらなります。
ご注意を。
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