おはようございます。



私ゃ嗜好品としての違法薬物は全く、タバコも酒も極稀にしかやりませんので、なぜ大麻がいけないのかの理由…これを聞いた人が論破されたと思ってくれるかどうかは結局その聞いた人の資質になりますけど…説明できますよ。



芸能人に対して、グゥの音も出ないこと言いますからね。それなりに腹を括って読まれよ。







要は労働の義務の範疇と考えられます。



私は、永山さんて方が麻薬をやっててもふつうに過ごしていた、とは思えませんね。言っときますけど私は芸能界というものがほんとうに労働の義務を果たしているのかという問いに関しては、まぁほぼ果たしていないよね。という答えです。芸能人自体がまず基本的に普通ではない。


前も言いましたが、労働ってのは労り働くってことです。自他ともに労り、働くってのは傍を楽にするって原義だと思っていいでしょう。


 一部の売れている人たちを除いて長いオフをもつ芸能人。待つことが仕事と言う女優さん居ましたね。オフをあけてたしかにいろいろアクションするとしても、これらは世の中にとってなければ生きていけないという産業とは違い、とにかくキャメラ照明音響などを費やして頑張っているよとその瞬間を大々的に証明してやるものの、ふつうの人たちなら長い時間拘束されて自費で出すようなオカネを出さず、美味しいもの食べたり中にはお酒を飲むようすをみせるものもある。そういうことをしても基本的に傍は何にも楽にはなりません。むしろ AD経験などもあるからわかるのですが、ボランティアのごとき無償の働きで現場を成立させている場合も多々ある。そしてなぜか無償の働きをやるような者たちを低く見る者も居る。

 それらを労働として、仕事として評価するのは、ある程度、何股もしているような異性に貢ぐような意味合いになります。基本的に芸能界の社会的意義なんてのは低いのです。

 そんな芸能人たちと相性がよいとおぼしき違法薬物。実直な感覚を手放し我慢を放棄し、上記のような自己中心的なありかたをダメ押しするようなその常習。ただ信用してもらえず、あるいは人手が足りているからといって雇われないから働けないのとは訳がちがいます。労働をやりませんよと強く世に宣言し続けているようなものです。大きく言うならばそれは労働の義務違反でしょう。



 たとえば歩行者は右を歩きましょう、てのがあります。法律っちゃ法律ですよ。しかし左を歩いている歩行者を自動車で跳ねてしまったとして、それは自動車の運転手が悪いのです。左を歩いている歩行者にも応対できなくてはならない。それも法律です。だとすれば歩行者にとっては結局、意味のない法律じゃないかと言えてしまう話でもあります。

 けれども言わない。それは全体として安全で円滑であることが、社会を活性化させ、ひいては歩行者の利益にもなるということがほとんどのひとに理解されているからです。



 大麻も同じような話です。

 もしも適度にたのしむ、なんてことができて、依存する病状になって他者に決して迷惑かけたりなんかしませんよ、なんて1個人が何人か言おうと、何人も言おうと、全体としてみて社会を活性化させるものとは言えないものでしょう。そして適度にたのしむ、でなく、過度にもちいる、となっていけば、他者に迷惑をかけるのも顕在化していくでしょうし、そもそも生命力の強い大麻をですね。グラム何円で取引きするって?法外な値段で各種の健全な価値観ぶっ壊すわけじゃないですか。法律で認めれば安定価格で供給できるからそれはないよというのは、依存性があるものに関する社会の値段の付け方を思えば否定される異論でしょう。

 タバコの゙値段、どんどんどんどん上がっていますよね?あれはどれだけ値段をつりあげても依存症のひとは買うってのがもう他者からみて分かるからできることなんですよね。安定価格?なにそれ。依存性あるものは安定価格で供給されないというのは、タバコで十二分に証明されていますゃんか。あと、ガソリンも似たようなもんですね。



 健全な社会、健康体による労働、きちんと原義に基づいた、差別なく皆がそれぞれに頑張る社会の構築。そういったものの実現に向けて努力する方向とは、大麻の常習を認めていぃじゃないかという論調はまあ、逆行していますよね。




 私は若い頃に舞台演技もやりましたから、不特定多数に身を晒し、一挙手一投足良いだの悪いだの言われることのキツさというのはそれなりに知っています。あれだって労働じゃないか、と言いたい気持ちもありましたし、似たようなことを言ったこともあります。けれどもそれがなかなか叶わないからといって、ほかの労働を一切したくない、オフには大麻や酒やタバコなどに浸りたい、なんてことをしたことはありませんね。若い頃、タバコも数年間だけ、冬季限定とかで吸っていましたし、お酒もあわや飲酒運転事故!と二十年前に一度なってからはますます一層節度を持って飲むようになり、残業二百時間みたいな、むちゃくちゃキツイお酒のセンターの労働を経ても飲酒運転常習を辞めない義父、本気になって辞めさせない義母や嫁の様子をみて、ほぼ飲まなくなりましたし。



 やはり、肝要なのは当人の資質ですよ。

 どれほど社会に健康体で貢献したいか。


 それを、他者がこのレベルまでは貢献しろよ!と強制することがパワハラだと言ってしまえばそれまでなんですから、当人の資質によって、そこは認識されたいところです。

 (良い)法律は、せめて最低限これくらいは頼むよってことを外郭から攻めるようにして制定してあります。派手な話にしてしまえば法律を守ろうが破ろうがそのひとの自由っちゃ自由なんですけども、だったら、もし好き勝手に法律を破られて悪い迷惑を被ったひとたちがそういう迷惑かけてくるひとたちを煮るなり焼くなりそれも自由ってことでしょう。



 私に我慢を一切させずにチヤホヤしてくれないと社会に悪い迷惑かけちゃうよ?…大麻合法化を話すひとたちはそんな迷惑なことを言っているようにしか、私にゃ見えませんゃね。














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那向