こんにちは。



久しぶりに目に毒なものを見てしまいました。



簡潔な図とか引用する第何条の何項とか、見栄えがするものだから大変に性質が悪いです。



道路交通法は安全で円滑が大前提であり、その大前提を枝葉である第何条何項にとらわれて忘れてしまうと完全に、安全も円滑も分離してしまう詭弁となります。



たぶんその筆者は、自動車に乗るのは鉄の箱に囲まれておりスピードも出しやすいので安全で円滑だし、歩行者は徹底して法律で保護される別の意味で強い立場なので安全で円滑だが、そうでないたとえば自転車などについては安全でも円滑でもないからその身になって考える必要はない、という着想から始まっているのだと思います。



私が目にした毒の反論でいえば、たとえば、交差点内における進路変更は禁止乃至推奨されないとかいう話や、自転車は危険回避には歩道を通行できるという話などがすっぽ抜けており、大変に身勝手な、上記のような自転車の乗り手の身になって考えるのを諦めた視点で対論を断ち切っていました。そういうふうに対論を断ち切ると安全も円滑も得られませんっての!



たとえば信号無視で飛び出てきた歩行者をも、自動車のドライバーは轢き殺さないようにせねばならんのと同じで、自転車がたとえその筆者のひねくれた認識の範疇を超えた判断をしたとしても自動車のドライバーは轢き殺さないようにしなくてはならんこともまた、その筆者は考えにないかと思いきや、持論のためならそこは活用するところは筆者が否定する対論の持ち主とも同じ…。



自転車に長く乗って街乗りしたんだったらどの走行がそのシチュエーションにおいて最も安全で円滑か、なんて体験や視野との兼ね合いから判りそうなものだけど、その筆者は六法全書にとにかく執着して、しかも枝葉に執着して大事なことを見失っている。迷走している。恐ろしい。



あまりに独りよがりで気持ち悪すぎて、アメブロだったら通報したいところだけれども、アメブロではないので、今後もそのひとの記事は注意して避けるようにするしかないだろうと思います。




ときおりそのひとは、説得力を醸し出したい短文に限って関西弁を出してきます。私は別に説得力に関わらず、たまに方言を出していますが、そのひとは西側の方言が暴力的に聞こえること、威力がのることをわかっていて使っているように思えます。



道理を弁えたアンチ東京というのは戦後からの日本において絶対に必要なセンスだと思うのですが、さすがに安全と円滑を斬り離してしまうためにアンチ東京を使うのは賛同できません。



なんのためのアンチ東京か。


本土決戦、なんて言われ方や地方に上陸されることは前哨戦や先鋒戦だと考えられてしまう社会のあり方…。そういった自然権を無視した中央集権を否定するためにアンチ東京が必要なのであって、それが行き過ぎて自然権を否定するためのアンチ東京になるくらいだったら東京礼賛になったほうが未だマシ。





ブログ記事って結局、東京で運営されているサーバーを介して全国や世界に出回るのだとしたら中央集権を完全否定なんかしていないのですよね。


そのひとに、道路交通法の第1条を千回唱えることをオススメしたいです。念仏のようにね。














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