ここいらで、南無、のあて字を変えますよ〜。




那向 にします。




那向阿弥陀仏


那向醒案仏


那向明日手





要するに、ふるくふるくふるくから、品位といふものをひとつの目眩ましにして、南国やその他の国々は侮蔑される傾向にあったでしょう。


極東を気取れば日が昇る国も気取れて、しかし海に甘えてその東にも他の国があることを忘れれば排他的思想はタルムードなどをあげるまでもなくまだまだ日本人の奥底に沸々とあるのですね。


確かにその比率はかなり少なくなっているというのを、私はここ数年、あっちこっちのブログに顔を出して確認できました。もともと一部の者たちが気取っていただけで、そんなに多くは無かったかもしれません。


盗んだ金を伸ばして箔にしても美しい?そりゃないんですよ。命は存(ながら)えるのだから。


私は日本人の言う品位に、もはや信用は無いです。きれいさっぱりありません。日本人が品位を言うとき、それは言い逃れをしたいときです。ときどき神を自称するようなもんです。神の自称をする覚悟や識別能力のないひとが、代わりに品位を口にする。本質は同じです。追い詰められたら排他の放射を爆発させるしかない。表現は人それぞれなれど、誰でも一緒なんですよそのあたりは。


そして、私は南無というあて字がやはりよろしくないというのはかなり長い間睨んでいました。


しかしひとまずすなおにひきついでずっと、使ってみていました。使ってみなけりゃわからないことなんかいくらでもありますから。


そして、那向がいいなと思いました。那向なら地球上、どこに居ても使える。たとえ誤解でも差別的な意味合いを込めずにね。





「ただのあて字だよ。気にしなくていい」


昔、般若心経の南無について質問した私に、祖父は答えたような気がします。おぼろげな記憶です。


しかしあて字にも…あて字にこそセンスが必要なのでは?

という燻りは、私のブログを長いこと読まれている皆さんならばご覧になったことでしょう。




変えますよ。


水龍神本樹人衛門、殺せんせー(死神)、市川森一リセット演出家(のひとり)、(数多いる)弥勒菩薩(のひとり)として。


南無は、以後、那向です。








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那向醒案仏