罪を憎んで人を憎まず、ってのはとても難しいようですが、情報あふれる SNSなどを読み解くために便利な分別はあると思います。
人を馬鹿にする論調、人をやり玉にあげて自説や自分を浮き彫りにする手法、それらは 人が為 の物、偽物だということです。
ただちに 偽物=悪 というわけではないですが、罪を憎んで人を憎まず、をやるためには偽物にしてやられている場合ではありません。
とはいえ本物は偽物と公私混同しながら紡ぎ出されるワードですから、偽物を切り捨てていけば本物のみが現れるわけでもないですね。
偽物を優先順位としてはあとにしていくこと、偽物を切り捨てはしないこと、
面倒くさいですけどそうすると、本物が立ち上がっていくと思います。
やはり人は、理想を指向しつづけるに尽きます。
風邪を引いても治ることを前提に治すことを心がけるように、困難が波状攻撃してきてもいつか開けた場所に出られると信じて自傷や自殺をしないこと。
思えばロシアも中国も、目と鼻の先で私を囲っている。
罪を憎んで人を憎まないために、私自身がジリ貧で忘れたり思い出したりを繰り返して進むとしても、本物を立ち上げて行けさえすればその働きの公的な価値は図りしれない。
でかい公的価値を産み続ければ、生死もわからぬ子供たちの生も、信心から肯定できる。
私は偽物は優先しない。
仕方なく偽物を使うことはあっても。