私は第一回の注射の辺りから、被害者になって国を訴え出て謝罪させ慰謝料などをとるとき、その国とは、注射を打つなと言って自身も打っていない私のことも含まれてしまうことの意味のおかしさをも指摘していました。

そんな私からしたら、被害者遺族のそういった訴えは、注射が終わるために必要な 宗教的儀式 にしか思えないことを分かっていただきたい。

それでも拡散には協力します。
かつてトランプのイメージアップページについてしぶしぶでも拡散協力したように。

私の発言を、私の存在を、あまり馬鹿にしないでいただきたい。 

被害を受けた人間が、罪に無頓着な加害者たちを殺したくて殺したくてたまらないのに、それでも殺さないように殺さないように我慢できたとき。それって実は毒をうまく制して薬にできた、呪いを祈りに変えられたある種の奇跡なんだってこと。

打つなという声が届いていたにも関わらずその声をバカにして打って、それでいて被害者になって、それでいて打つなという声を発していた人たちさへ責めてオカネをとろうということをする人たちは、可哀相だけど、可哀相に思われること、恩に着てください。

私は低空飛行区のストレスぶんを精確に同情されるぶんには、決してプライドを傷つけられた!なんて感じで怒りはしません。

何ごとも精確に、が、モットーです。
不精確に、つ・い・ら・く・されるのが一番イヤです。







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南無醒案仏