こんばんは。
rute5です。

 自転車でつかわない筋肉を鍛えるためにジムに通うのか。自転車だけでは筋肉は偏ってつくのか。といった質問でしたね。

 例によって長文になりましたので、下記にセルフコピペします。


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こんばんは。
短距離型筋肉と長距離型筋肉の話はご存知かと思います。白い筋肉と赤い筋肉。
一度長距離訓練をして長距離に慣れてしまうと白が赤になりもう二度と白にはならないという話が、わ他シが子供の頃は定説でした。
自転車に乗れば乗るほど全身赤くなるのか…、と思わなくもなかったですが、当時からわ他シは賢(さか)しくて、視力だって治せる!と思って18年かけてほんとうに自然治癒させてしまったくらいですから、筋肉に関しても、なにか赤を白にする方法もあるはずで、それがハッキリわかるまでは自転車の乗り方に詳しくなっておくことはきっと悪くないはずだと信じて、まあ、見切り発車で自転車考を続けました。
さあ、あの頃から云十年。
今では赤を白にするには筋トレと鱈とが効くという科学的なエビデンスを得ましたよ?わ他シの筋肉の色に関する目に狂いはありませんでした。
ただ、内曲がりの膝は外に外にと、インソール改造など物理的なことはなしで、生身で意識し続けることで矯正できるかと、これは何十年かけてもなりませんでした。膝の向きや曲がりかたに関しては目に狂いはあったわけです。
しかし、そうしようとしてきた実績時間はあるので、ひとたび1ミリほどの改造インソールを土踏まずに仕込めば劇的に筋繊維が納得している←今ココ、です。
つまり瞬発的筋力を得るため、持久的筋力を得るため、筋肉や骨格のカラクリを体感で知るため、研究するためと、多目的でジムには通っています。
自転車は右に傾きやすい…足の下にある乗り物が、右に傾きやすいんですよ?
人を転ばせようとしたら、頭を叩くより足首を掬うほうが効くでしょ?
つまり自転車って本来、むちゃくちゃヒトを転ばせるけったいな乗り物なんですよ。かなりハイリスクな乗り物です。
だから自転車に乗ってなんゃかゃまともに取り組んだところで、乗る前に培った筋力や才能しか、基本的には発揮できないものであると、そこは諦めるというか、認めています。
ですからわ他シは自転車そのものを左右対象重量に改造したりその他様々な物理的工夫もしたうえで、さあ自転車の挙動を制するには?を、自転車に乗るときには考えています。
ジムと自転車とは、同じ身体を鍛えるというカテゴリーに類せても、覚えるべきことやこなすべきこと、そして進化の方向が全く異なります。
けれど、人間の目はたとえば、耳も、左右にあって、ふたつあって立体的知感を得るでしょ?
だからわ他シはジムからのアプローチも、自転車に乗ってのアプローチも、最近始めた階段ダッシュなども、多角的な鍛え方って大事ゃと思うんです。
選ばれしプロ野球選手が野球場に入るわけじゃなくて、バンクを走行をしたいのは、わ他シだけではないですから、いつでも好きに走れるわけじゃないものでしてね。
イメージトレーニング+多角的なアプローチです。それでここまでやってきました。
ここからもやっていけるかどうかの瀬戸際ではありますが、職場で呼吸ができるようになったのは大きい前進ゃと思っていますよ。最近の競輪場通いの頻度をかえりみればね。


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答えていそうで、どことなく、質問に答えていませんね。

改めて、もっと簡潔に答えますと…、


 自転車は右に傾く乗り物なので、そのままでは自転車に乗っていて、身体が左右均等でありたいとするならば、自転車が右に曲がっていくことを許容した走行ルートを描く必要があります。競輪とは逆のまわりかた(左回りというそうですがそれ)を地図に描くべきなわけです。
 もしも走行ルートを左回りの環状にしないのなら、たとえば延々まっすぐ走るなら、自転車に乗っていて発達する筋肉は偏ったものになるでしょう。
 どう偏るかは、いくつかの可能性や危険性があります。
 左に脂肪がつきやすくなったり、右脚の蹴りがつよくなったり、お腹がねじれてしまったりなんてのもありえます。

 人間の身体の多くは水でできているため、水の性質を利用すればある程度かたよりを防ぐことも可能と考えますが、やはりどうしてもあまり意図せぬ偏り方で筋肉はついたりつかなかったりするでしょう。

 カロリーは摂取と消費で赤字、黒字が、いちおう計算できるものです。

 もしもカロリーが赤字なら、自転車が右に傾くのに負けてしまうと考えられます。その場合は、すなおに左回りの環状線を描くのがいいです。
 もしもカロリーが黒字なら、自転車が右に傾くのに抗える可能性はあります。多少バンクのような傾きフォローがない公道でも、右回りのルートを描けるかもしれません。しかしこれは、自転車がギアの組み合わせ…てこの原理で倍がけで進む乗り物であることを思えば、案外儚い可能性と、わ他シは思っていますよ。生身を本質に据えながら、そこに倍がけして速度を得るからには、自転車の傾きに抗うのは2倍、3倍の苦労が伴うのだと。たとえていうなら1日6食食べてやっと、2倍ギアの自転車の傾きを制御できるということです。

 冷徹に、きわめて現実的に考えると絶望しかない自転車ですが、そこに宗教が絡むと、実用品になります。
 どういうことかといいますと、それだけ自転車に足元を掬われて悲惨になるのなら、自転車をさらにその足元から掬う何かがあれば…地球の自転とかプレートの震動とか、阿弥陀如来の他力とか、そんなものにあやかることができたなら、自転車はなんだか思い通りに操れている感じで乗れるものになるというわけです。わ他シはそれを他力の前借り、と言っていますよね。

 とにかく、自転車で思い通りの身体をつくるのはとても大変なことです。重いギアで乗ればすぐ太腿が肥大化しますし、軽いギアで乗れば逆に太腿が細くなります。しかしわかっているのはそれくらいなことで、ほかの部位に関しては理性的にコントロールするのはかなり難しい。だいたい、乗る前に用意した身体に倍がけするのが自転車だからです。

 そこで筋トレです。ジムです。
 筋トレは部位ごとに肥大化させたり細くしたりのエビデンスがかなり積もっています。
 なので筋トレで先ずはデザインすることが、偏りのない体作り、あるいは、狙った偏りのある体作りを可能とします。
 わ他シはそれをやって、夏の九州一周、豊後大野市へ下る道での二輪ドリフトほかを実現したわけです。
 つまり、わ他シはかなり昔から、どういう体になりたい、というイメージは持っていたのです。


 
 質問に対する答えで、最もシンプルなのは、

「はい。まったくそのとおりです」

になりますね(笑)。









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