こんちは。
安倍晋三が撃たれた意味をなんと解するかにあたり、ひとまずは テロ で結構ですと八咫の鑑からの言をさいよーする、水本樹人です。
八咫の鏡と、八咫の鑑は似て非なるものです。
健康診断の仕上げ待ちにおいてそのニュースが、看護師から看護師への横聞きとして伝えられました。
以前安倍さんに対し、統括的には よくやったよ と悪くない感じの評価をした わしとしては、まぁそれなりに複雑な心境ですわね。
違法なことも少なからずやっていた人だとは思うので撃ちたい人もいたかなとは思うけれど、ただ、私刑を駆使して殺さねばならぬほどこの国に酷いことをした人かと聞かれればノーだとわしは思うし。
そゆことで、なんとか一命を取り留めてほしいなと、はい、それは祈っときます。
昨日の、炎天下での自転車走行技能 低頭高心 は、心臓になかなかの負担を要求する技でして。まぁそりゃ、シンゾウつながりで安倍晋三をいやでも思い出し、それこそ文字通り胸騒ぎがしたもんですが撃たれるとはね。
借りにも元首相。これ、むざむざ撃たれるような警備態勢しかとれていなかったってじじつからは、警察も黙認していたと思わされますわよ。
ネットをみれば安倍晋三への評価はひとそれぞれです。否定的なひとが多めと見受けます。
昔、評価のわかれるものほど本物、という話をするひとがいました。わしはその基準には納得していませんが、その基準からすれば安倍晋三は本物ということでしょう。
レントゲン写真はなんの問題もなしでした。
なので、もし職場で受けた別の健康診断のほうで問題ありとあっても、それは夜中に食べた冷凍マンゴーや、前日までにジェット水流で自身のあちこちをタコ殴りにしたせいですと言えます。
わしが拳銃を持っていたら誰を撃つか。
CHERUBさんならご存知でしょう。
けどまぁ、拳銃なんか模造銃すら持っていないし、持つ気もさらさらないですけどね。
拳銃っておかしなもんですよね。
なんで殺傷力のある砲撃を、イチコジンが握って構えられるのか。なぜそのイチコジンに射撃と同時に死ぬほどの傷がつかないのか。
弾丸の回転方向、それにそわす弾ける最低限のステンレス板の厚み、構えた撃ち手の体勢を崩す何か、そういったことは考えさせられます。けれどもわしとしては、一向に撃つケンリを持てるようになりたいとは思わないものです。下品だからなんですかね、拳銃が。
わしゃたぶん、知っているのです。
拳銃がそのような一方的なチカラを持ち得てしまうためには、多くの小賢しい ならず者たちの、 拳銃を撃ちたい という思いが必要であることを。だからわしは一向に、撃ちたいとは思えない。別件で、誰かを殺したいと強く願うような怨みがしょうじたとしても、拳銃で殺したいとは思わない。拳銃の一方向性にわずかでも寄与したいとは思わないからです。
元嫁との印象的な出逢いとして、『スナイパーババア』という殺し屋と殺し屋がしまいにゃ老齢結婚するという舞台がありました。わしゃそれの準主役、スナイパージジイでした。
元嫁演じる若き日のスナイパーババアと、エアガンを向け合うシーンがあったのですが、わしはぎりぎり、元嫁の肉体からは外して銃口を構えていましたが、たぶん元嫁はわしに銃口をそのような配慮なく向けていましたね。
舞台上にはなるべく金属製品や本物と型が同じような武器などは揚げないというのが、はしかんも出身の、アクティブハカタ出身の、養成所の先生から習ったことでして。
生のお客さん相手に生身で表現するということは、それだけ徹底して非暴力非服従の平和思想をつらぬかねばならないという、演劇にはそのような深い本質が、本来は内在されています。
映画でドンパチドンパチ、テレビでもドンドンパラパラやっていますが、あれは演劇としては破格の邪道っぷりなのですねえ〜。ヌルフフフフフ。
わしがときおり、はしかんやらゲーノージンやらに大変な上から目線を持つのは、こういった背景からです。
武器らしきものをもって凄めば凄むほど、シロウトなんですよ。ほんとうにひとをころせるひとはぶきなんかまったくもたずにひとをころせるわけでしょう?
低頭高心は永久機関の実現とも言えました。
これからの皆さんにも、古き良き日のアクティブハカタから、もしかしたらそのアクティブハカタはまたべつの古き良き処から伝えられた見世物とわかっていてもつらぬく平和思想を、きちんと履行して生きていってもらいたいです。
よろしくどうぞ、お願い候。
ナム南無