こんにちは。

こちら、死んだはずの人間です。どうぞ。





 必要なのは、言葉がなくても、身振り手振りでも、なんなら身振り手振りがなくて言葉だけでも、あるいは表現のうちなにかが欠けていても、本意というものは善良な意味でつたわるはずだという、内外の無形式の何かへの、たゆまぬ信仰です。




 神がバベルの塔にムカついて言葉を分けたと。

 わしは画像編集ソフトアドビで日本語を逆再生するとめっさドイツ語に似ているのを知って、神とやらがどうやって言葉を分けたかを何となく理解しました。


 向き合うに、あなたにとっての右は、わたしにとっての左です。

 並ぶに、あなたにとっての右は、わたしにとっても右です。


 言葉もまたそのようにして違(たが)うように仕組まれたのであって、自他ともに通用する道を見出そうとすれば言葉は透明になり、身体どころか国境を超え、意図を伝える…バベルの塔崩壊前のものに戻ることとなります。


 相手の身になって考えるだけではなく、自分の身にもなって考えるのです。


 なぜなら自分も相手をつくる1要素だし、相手も自分をつくる1要素だからです。相手をつくる他人も大勢いて、自分をつくる他人も大勢いるからでもあります。また、それらを認め合うことが言葉を透明にするということで寿司。




 あなたは、貰ったオカネを、言われたとおりに使える人ですか?また、貰うオカネを、正当な系譜に整えられる人ですか?



 あなたの投じたオカネは、たしかにその用途に使われるかどうかは、あなたがオカネをどう貰えるか使えるかにもかかっていると考えるのが、まず基本でしょう。




 ウクライナへのこどもたちへの募金とやらが、勝手に武器購入に使われていないといいですねえ。ヌルフフフフフ…。




 あと、悪人だったら、今の時勢、銃がこどもたちにとっての鉛筆でありノートだ!とか言うくらいの悪知恵はあるでしょうねえ。





 日本は世界大戦で負けを認めたあと、高度経済成長しましたね。


 ウクライナも負けを認めたあと、高度経済成長するとか、そういうふうには考えないのでしょうかね。


 それとも、日本人としては高度経済成長したくなかった、ということですか?




 円安は、日本からのお金の価値が低くなるようにという、世界からの意思表示ですねえ。


 こういうときは、なるべくオカネよりも祈りで平和を願うべきだと、センセーは思いますがねえ。


ヌルフフフフフ。






フェニックス!



トンビですよトンビ。




ヌルフフフフフ…。