一日に200km以上だって、自転車で尻をつけずに走ったことのある自分からしたら、1kmをものすごくいやがる若者たちの気持ちや言葉(弱音)の吐露は、下手すれば、ものすごく見下したくなるものでした。


 しかし長距離と短距離は違うんだろうな、実際、オレは彼らのような早いタイムを出せていないし、と、その下手をすることは一応ありませんでした。


 '馬脚を表し'てから、その若者たちの気持ちの一端がいま実感として理解できたようです。


 なんせ、最大緊張が必要となる瞬間に、膝関節を外すように使うのです。


 後ろで'馬脚'をつかうときとは訳が違います。

後ろのときは骨を一直線にしやすく、膝関節を外すようにつかっても、すぐいい感じにつながるからです。

 前は膝で脚が直角気味に曲がっていますから、それをねじるってのは、ちょっと…。

 これ、短距離でも脚が痛むんじゃないか?と、そういう不安は少しは感じましたから。


 で、その不安が足攣りになるように、今少しピクッと、感じたことのないカタチの反動としてあらわれたので、どうやら、そういうことみたいだな、と。








 たぶんかなりの数の自転車乗りが、車体の左右非対称性の是正を、自転車に乗っていないときどころか、乗っているときですら'行わなければならない'、という感覚を持たずに突っ走っていることと察します。


 そういうひとたちの身体はたぶん、他力によって細かく壊され、たとえば辻褄合わせのために、無意識のうちにどこかの関節を外し、自力のなかの共通項によって走行が成立するため、自分とはキツがり方が異なっているのだろうなぁと思います。


 それをして、自転車ナメんじゃねえよ、と、わしは言うこともできなくはないのですが、ワクルス問題によく似ています。


 あまりに多い数の異論の人に対して、言うのも無駄な感覚がしかねない気持ちなのです。




 ボクは、大して偉いことを言っているつもりはないのです。


 素朴な、ほんとうのことを、ブレさせずに、そのなかで責任ってどうやってとれるだろうって、そうやって言動を選んでいるだけです。


赤信号は、

だれか真似してケガせぬように、

そこまで含めての意味で、

ほんとのほんとに安全なときにだけ、

無視してわたるものだと、


そう言いたいのです。


全然普通でしょ?