こんばんは!


 ムズムズムズムズして、もう雨でも走るやと思って、夜の街を走ってきました rute5です。


 雨は、ほぼ降ってはいなくて、路面は濡れていて水たまりも残っているような状態でした。



 ピストバイクのカッターかねりんver. は、荷物を運ぶことをほとんど考えていません。パンク対策には重たいけれどぶ厚いタイヤを選ぶことでオッケーとしています。そのぶん攻めた前傾姿勢がとれます。

 きつい前傾姿勢は、呼吸しづらいとか、太もものエアロ効果が期待できなくてトラクションが低下するとか、そんなにいいことばかりではありません。しかし実は、わしがきつい前傾姿勢を大事にしたい理由はその難点の裏っ返しなのです。

 きつくない前傾姿勢であれば、上半身が細くて下半身太いほうが、前下がりの太もものエアロ効果でトラクションも向上するし、後ろ重心だと、固定ギアの現実から言って踏み足の効果も出やすくなります。

 ただ、あまりそのきつくない前傾姿勢で長い距離を走り過ぎると、今度は身体が、ラクをしたいがために、だんだん上半身を重くつまり太くして、下半身はそれなりか軽くつまり細くして、ギア比を大きくすることで高いスピードを出して維持しやすくしようとしてしまいます。トラクションの低下と引き換えに高速の維持を得るようになるのです。適応です。進化論の話にもよく似ています。

 そりゃあ子供用の自転車でいつまでも走っている大人なんかほぼどこにも居ないでしょう。ギア比を大きくしたいのは人として自然な感情です。

 けれども競輪はギア比上限が決まっている上にコーナリングの連続です。そして長距離走行ほどは、高いスピードを長く維持しなくていい。短い維持でいいからより高い瞬間スピードを出したいのが競輪です。トラクションはできるだけ低下させたくない。太ももはできるだけ太くしておきたい。

 練習している感が出て満足しやすい長距離走行に馴染み、人として自然な進化や適応で、競輪に向かない身体になるわけにはいかない。


 そこできつい前傾姿勢です。

 太ももを上半身で覆ってしまって、上半身には空気抵抗を、下半身には真空状態のニュアンスを与えます。すると進化論的に言って、上半身がなんとか痩せようとし、下半身はエアロ効果なしでも得られる筋力の重さという、推進力やトラクションを求めて、太さを維持か、より太くなろうとします。

 かんたんに言うと、練習では長い距離をきつい前傾姿勢で走り太ももを育て、いざというときにだけ、それなりの前傾姿勢でエアロ効果をその育った太ももで得る。と、そういうことを考えたのです。約20年前。


 ただほんと、そのきつい前下がりの姿勢をとるためにはリュックサックとか邪魔で、パンク対策の小さな携帯ポンプなどすらも、きつい前傾ではジャージの背後、腰にあるポケットから落ちてくるため、実用自転車走行で荷物を背負うのが当たり前だった自分には、長らく実現が難しかったのです。


 

 (。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!



 いやはや、今日も結局、そんなに食事していませんね。寝コケてしまいました。このブログ記事綴り終えたら何か食べに行こうかな…。夜中ゃけ、スーパー、コンビニとマクドナルドとかくらいしかないだろけど…。


 収穫は(このノリ久々ゃな)ありました!


 名付けて '愛天' です。

 会いたいんです、ってな意味とかかりそうですが、これどっからその2文字になったって、【I・】からです。

 この I・ 。

 何を示しているかと言うと、腰の使い方です。


 固定ギアでなるべく頭を揺らさずに済むためには、もう少し身体の方を大袈裟に動かす必要があるな、と、先ず見出したのは上半身を右に伸ばしたり左に曲げ縮めたりする動きです。普通に左右対称に頭を左右させるよりは頭が揺れずに済みました。

 次に、その動きをもし下半身まで巻き込むとどうかと、腰からの動きを探ってみたら、その逆、左腰は伸ばして右腰は縮める使い方が見つかりました。つまり、I・(←左腰はI、右腰は・)というわけです。

 そこからもじって、愛天と呼べるな、と。

 そゃからもじらず、技の名を 'I・' としてもいいと思います。

 精一杯もじるなら、'I♡' もありですな。


 かなりいい腰の使い方だったみたいで、いつもならゼエハア言ってスピードを落としがちな、坂の登りきったあとでも少し余裕がありましたし、走行ラインのブレもかなり少なくできていました。 


 アイテン。

 これ、テン(極小)=スベテ(無限)と考えると、愛全(アイゼン)、愛染明王の動きと言えなくもないですねえ。


 🔍。


 ちょっとだけ検索勉強しましたら、愛染明王と不動明王の違いを理解しました。

 また、不動明王が大日如来の化身だとか家来だとかいう説の違いのあることも理解しました。

 まー、なんといっても密教たら便宜上の世界ですから、ごっちゃになったり別物だったり、語り手によってさまざまになりますわねー。

 基本的に、悟りを開いた仏が、誰が上で誰が下とか定義付けるをヨシとするわけは無いと思っとります。たぶん、時の政治と絡んでさまざまな像が思い描かれたんでしょうね。芸能界みたいなもんですわぁ。


 今回勉強したページでは、明王は如来や菩薩の下の位で、天よりも上の位としてありました。

 わし、明王は菩薩より上の位ゃと思い込んどったよ。我ながら謙虚だねー〜(?)。

 さらに言えば天…帝釈天などは仏より上ゃと思い込んどった。これは『聖☆お兄さん』の影響だね。なんか帝釈天って釈迦の上司かプロデューサーみたいに描いてあるから。

 

 愛欲のエネルギーをもって悟りを開くに到ろうという目論見が天より高いとされることで、世に不倫が蔓延っているということなのかな?

 で、不倫を蔓延る的に下に見ているわしは菩薩以上の感覚でいたというわけかいね。けど、誤解だった訳だが、わしの中では天、如来、明王、菩薩の順番が密教ゃと思っていたので、わしの顕在意識と無意識とではそれらの順番が、異なっていたというわけゃね。さらに言えば、密教は小乗仏教で、釈迦のみを尊ぶ大乗仏教よりはかなり低い霊感と思っていた。ややこしいねえ。


 つまり、わしとしては、



前提意識…釈迦万歳


顕在意識…釈迦、密教


潜在意識…天、如来(釈迦も)、明王、菩薩



 と、こんな順位で仏教を考えていたことになる。

 それが、今回の勉強によって、



釈迦、如来、菩薩、明王、天。



 の順位になったね。

 あれ?

 でも醒案如来を信じるんゃなかったの?と。


 では、それをきっちり組み込むと、



未来…醒案、如来、菩薩、明王、天

過去…釈迦、如来、菩薩、明王、天



 こういうふうになる。


 てなことは、未来よりは過去のほうが位が上と見ることにもなり…。



過去、未来、現在



 わしの時間の流れは、過去がいずれ来るもの、未来が今ここにあるもの、現在は過ぎ去りしものという感覚になる、と。



 すっごい複雑〜。




 誰が理解できるんだ、こんな感覚。



 一致するような人、まさか居ましたらお友達になりましょう…。





 

 わしが未来の栄光を掴みたければ、現在にこだわらず、過去を追求すべし、ということになるのか。


 そうね。


 たとえば、いつの間に『声楽教育における呼吸法』をダウンロードしたのか、その過去を追求することで、もう少し輝く未来が手に入るのかもしれないね……マジで全く覚えがないダウンロードゃから…。



 新章、ミステリーに突入ですね。

 わしに全く身に覚えのない過去の証拠ができてしまった…。


 世界線移動の証拠?


 まあもう、犯罪でないなら、なんとでも言ってもらって結構…。




0:29南無釈迦牟尼仏